なにものにもまして炭水化物がうまい。が、明日の病院行き関係で今晩のうどんがもしかしたら・・・
明日は月曜日・・・なんですが、実は明日は病院行きのためもう一日休みなんです。わーい、わーい。
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清の時代の浙江・桐郷の宿先生は、飲み食い系で名高いひとであった。
なかなかふつうの料理では飽き足らず、
雞不用刀割、併不須湯炮去毛。驀頭溺殺、塗以爛泥、貯之瓦罐、拾園地野柴煨之。
雞は刀を用いて割っせず、あわせて湯炮を用いて毛を去らず。幕頭して溺殺し、塗るに爛泥を以てして、これを瓦罐に貯え、園地に野柴を拾いてこれを煨す。
ニワトリを料理するときは、刀で首を斬って殺したり、熱湯を使って毛皮を剥いたりしない。頭を水中に押さえこんで溺殺するという方法を用い、これにどろどろの泥を塗って陶器製の入れ物に入れ、畑地で拾ってきた柴を使って外から火にかける。
ちょうどよい火加減のところで、ニワトリを陶器から取り出して皮を剥くと、つるりと中身が出てきて、
一団元気、謂之滑雞。
一団の元気のごとく、これを「滑鷄」(かっけい)と謂う。
元気玉がまるまっているみたいで、これを「つるつるニワトリ」と呼んでいる。
鹽豉随意蘸之、易牙莫能及也。
鹽豉(えん・し)随意にこれに蘸(さん)せば、易牙(えきが)もよく及ぶなきなり。
この「つるつるニワトリ」を塩や味噌にお好み次第で漬けておきますと、いにしえの大料理家・易牙の料理でもかなわないような美味になるのである。
またこのひと、
尤善啖蛇。用竹刀破之、去其中蔵首尾、活火轆化、其鮮無匹。
尤も善く蛇を啖う。竹刀を用いてこれを破り、その中蔵と首尾を去り、活火に轆化するに、その鮮なること匹(たぐい)無かりき。
いちばん好きなものはヘビ料理であった。ヘビを捕らえると、頭を押さえておいて竹へらで腹のところを裂いて内臓を取り出し、また頭としっぽを切り取って、火にあぶってぐるぐる回すと、取り立てで新鮮でうまいこと、くらべるものも無いほどであった。
このため、
蛇見先生遠遠来、即驚竄去、怕其食也。
蛇、先生の遠遠来を見るに、即ち驚きて竄去す、その食わるるを怕(おそ)るるなり。
ヘビどもは、先生がこちらに向かってくるのをかなり遠いところから見ただけで、おどろいて逃げ出すようになった、というのである。もちろん食われるのを恐れてのことだそうだ。
このほかにも、「クルミで焼いたイヌ」「カメのからし煮」「すっぽんのあぶらあげ」などいろんな料理法を発明して、
嘗以爲人不知味、与不聞不見同。
かつて以て人の味を知らず、聞かず見ざると同じと為せり。
これまで誰もそのドウブツに一番適切な料理法を知らなかったのは、それらのドウブツを見たり聞いたりしていなかったのと同じだ(、ほんとうにそのものを知るには一番いい料理法を知らなければダメなのだ)、という考え方であった。
・・・そのため変なモノも食わされたりしたのですが、そのお話はまた別の機会にいたしましょう。
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清・破額山人「夜航船」巻七より。破額山人、相変わらずヘビがお好きでちゅね(参照→「不食不知」)。
さて、今回はグルメのお話でしたが、この本、性欲とか食欲とか金銭欲とか権力欲とかに関わる話ばかりでほんとにオモチロいんでちゅ。ためになりまちゅなあ。