平成29年7月1日(土)  目次へ  前回に戻る

「あのアカギ山へと登るでカー」とぶたおやぶんの行動を指導するタビカラス。ぶたおやぶんの判断力も劣悪だが、果たしてタビカラスの予想にそれ以上の信頼性はあるのだろうか。

わーい、またもうすぐ月曜日が来るぞー。心身・職業等あらゆる面で追い込まれてきた感があります。イヤだなあ。

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むかしむかし。

有一大樹、其果如二升瓶。

一大樹有り、その果、二升の瓶の如し。

大きな木がございました。木も大きいので木の実も大きく、3〜4リットルも入るような甕ぐらいありました。

さて、

其果垂熟、有烏飛来、住樹枝上。

その果、垂熟するに、烏の飛び来たりて、樹枝上に住(とどま)らんとする有り。

その木の実が熟しまして、いまにも落ちそうになっていたとき、どこかから一羽のカラスが飛んできて、その木の枝に止まろうとしたのでございます。

「かあかあ」

ぶちん。

方住、果落烏頭、煞。

まさに住(とどま)らんとするに、果、烏の頭に落ちて煞(ころ)せり。

ちょうど止まったそのときに、熟した木の実が上の枝から離れて落ちて来て、カラスの頭に「ぼかん」と当たり、カラスは死んでしまったのでした。

ああ。

樹神見此、而作偈言。

樹神これを見て、偈を作りて言う。

木の精霊はこれを見て、詩を作った。その詩は以下のとおり。

烏来不求死、 烏来たりて死を求むるにあらず、

果堕不為烏。 果堕つるは烏のためにするにあらず。

 カラスは死にたくってここに来たのではなかろうし、

 木の実はカラスを死なせようとして落ちたのでもない。

果熟烏応死、 果の熟するに烏の応じて死ぬるは、

因縁会使爾。 因縁の会使しむるのみ。

 木の実が熟したらカラスが死んだ、というのは、

 原因と条件が重なって、こんなことになっただけなのだ。

ということで、

人在世間、罪福会、遅速合、無有前却。

人の世間に在りて罪福の会する、遅速合するも、前却すること有る無し。

人間がこの三世にあって、過去の行為に対する罰と福とがきちんとやってくるのは、遅いも速いも因果法則のとおりであって、前にあるからといって避けることはできないのである。

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「雑譬喩経」(後漢・月支沙門支楼迦讖訳)より。

放っておいてもあと十年二十年以内には確実に木の実はおいらの頭の上に落ちて来る(明日かも知れない)のはたいへんな信頼性を伴って予想できるのだが、それまでがまたいろいろとイヤなことばかりなので困っているわけなのである。

 

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