このひとのおじいさんだかひいじいさんに当たる人のお話である。赤染衛門とつきあっていたはず。どうでもいいが赤染のやつも学問があるから高慢ちきだったにちがいないので、その相手をしていたのであるから人格者だったのかも知れない。
明日はイヤだなあ。え、なんで「明日がイヤな日だとわかるのか」って? その程度の未来のことさえ予知できぬとは、オロカなことじゃ・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、大江匡衡(まさひら)というひとは、
爲人長身鳶肩、及長学識博洽、当時名儒無能及者。
人となり長身にして鳶肩、長ずるに及びて学識博洽、当時の名儒よく及ぶ者無し。
ひととしてのようすは長身で、ワシのようないかり肩、成人してからは学識博くなんでも知っており、同時代の有名な学者たちの中に彼に敵う者などいないほどであった。
寛弘年間(1004〜11)、文章博士となったが、中宮の上東門院さまのところで
帳内犬生子。
帳内にて犬、子を生ず。
中宮さまのとばりの中で、イヌが子を産んだ。
関係者は
「これはなんの予兆でごじゃろう」
と心配になりました。
そこで、なんでも知っている大博士の匡衡を読んでその吉凶を占わせた。
匡衡は仏頂面をしたまま、
吉不可言。
吉、言うべからざるなり。
「あまりにも好運のしるし過ぎて、コトバにもなりませぬ」
と奏上申し上げました。
「なんと。それはどうしてじゃ?」
「ははー」
と答えましたことには、
犬字大旁加一、即在上則為天字、在下則為太字。配以子字、是太子生、為天子之象。吉孰大焉。
犬字、大のかたわらに一を加う、すなわち上に在りては天字たり、下に在りては太字なり。配するに子字を以てすれば、これ太子生まれて天子たるの象なり。吉、いずれか大ならん。
「犬」という文字、「大」のそばに「一」を加えたものでございます。もし「大」の上に加えれば「天」という字になりますし、下に加えれば「太」の字でございます。この「犬」に「子」ができた、ということでございますから、これは「太子」が生まれて「天子」となる、ということのしるしでございます。これ以上の好運がございましょうか」
「へー」
とみんな半信半疑でした。・・・が、
亡幾、后生太子、後即位寛仁帝是也。
いくばくもなくして、后、太子を生ず、後に即位して寛仁の帝、これなり。
しばらくしたら、中宮さまはおとこ皇子をお産みになられました。すぐ太子となり、後に位に即かせあそばされて寛仁のみかど(後一条天皇(在位1016〜36。その在位中に寛仁の年号があったのでかくいう)となられたのがこのお方でございます。
「おお、すごいなあ」
「よくわかりましたなあ」
とひとびとは称賛したが、匡衡は心の中で、(学問を究めればそれぐらいの未来は予知できるもの。それさえできぬとは、オロカなことじゃ)と思っていた?かもしれません。
だいたい、この匡衡というひとは、
位不称才、毎歎其轗軻。
位、才に称(かな)わず、つねにその轗軻(かんか)を歎けり。
「轗軻」(かんか)は、車がでこぼこ道などにとらわれて進まなくなること。
その才能に比して身分が高くならず、いつも出世が遅いのを嘆いていたのであった。
あるとき天上びとらと大井川に舟遊びをしたときの歌に曰く―――
川舟耳乗而心之行時波沈留身登毛不思家利。
わわわ、またわけのわからんのが出てきました。さて、なんと読めばよろしいのでしょうか。いくつかヒントを出しましょう。
・「耳」は「みみ」とか「のみ」ではなくて、「眼耳鼻舌身意」とお経を読むときの読み方(いわゆる呉音)で「に」と読みます。
・「波」は「なみ」と読むとダメで、「は」です。
・「登毛」は「のぼり毛」というのは上向きの毛? ではなくて、「とも」と読んでみてください。
・「不思」は漢文読みしてください。
・「家利」は「家の利益」ではありません。なんと、これで「けり」と読みます。
それでは解読してみてください。回答時間は明日まで、です。レディー、ゴー!(正解は明日の日録にて。明日があれば、だが)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「皇朝蒙求」巻下より。
漢文の本だから匡衡の歌の読み方なんか書いてないんです。それでもおいらたちにもわかるんだから、万葉仮名も便利なものである。わからないひとは(それぐらいのことさえわからぬとは、オロカなことじゃ)と心の中で思われてしまうカモ知れませんよ!