幼いころは露店で売られているひよこを見るのは楽しみであった。買って帰るとすぐ窮迫して死ぬのでめんどうであったが。
今日もいい天気でした。明日も休みだシアワセだなあ。(実際には忍び寄る月曜日の影にすでに怯え震えているのである。)
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「わーい、また元曲の作者が窮迫してちにまちたー」
「葬儀に行って精進落としでいっぱいやりまちょー」
「わーい、わーい」
「ところで今回ちんだのはだれ?」
「施君美ちゃんでちゅよ・・・」
施恵、字・君美はもと南宋の首都であった杭州のひと、
居呉山城隍廟前、以座賈為業。
呉山の城隍廟前に居り、座賈を以て業と為せり。
揚州・呉山の都市神の神社の門前市場に住居があり、露天商を営んでいた。
おいらは趙君卿その他の友人たちとその家に遊びにいったことがあるが、
公巨目美髯、好談笑、毎承接款、多有高論。
公、巨目にして美髯、談笑を好み、接款を承くるごとに多く高論有りき。
施君美のおやっさんは目がでかくて、ほほひげがもしゃもしゃと生えていて、ひとと話をしては「がははは」と大笑いするのが大好きであった。おいらたちが行くと歓待してなけなしの酒食を出してくれたが、そのたびに宗教や哲学や歴史の議論を聴かされたものである。
曲のほか詞も作り、俗っぽい曲の中に高尚な詞を挿入するのが得意であった。戯曲「拝月亭」はその作品と言われている。
「というひとでちたねー」
「わーいわーい」
とみんなで葬式に行って、また香奠のおカネがもったいないので
「香奠代わりにさせていただきまっちゅ」
と言って読み上げた曲。
・・・施君美よ、あなたは
道心清浄絶無塵、 道心清浄にして絶して塵無く、
和気雍容自有春。 和気雍容としておのずから春あり。
仏教を信仰し、心はきよらかでどこにもチリの一つもなく、
優しい気分でやわらかくおだやか、その周りはいつも春のようにあたたかであった。
文学者としては、
呉山風月収拾尽、 呉山の風月、収拾し尽し、
一篇篇字字新。 一篇篇に字字新たなり。
但思君賦尽停雲。 ただ思う、君の賦すればことごとく雲を停むるを。
江南地方の風流や光景はすべておのれのものにしていて、
一篇一篇(曲を書く)ごとに、一語、一語が新鮮であった。
あなたが友情のうたをつくるごとに、その美しいのに聞きほれて、空行く雲さえ停止していた・・・ようだったのを思い出す。
ちなみに六朝の陶淵明に「停雲」という詩があって、友人のことを思う内容となっているので、それも効かせていると思います。
しかし死んでしまいました。
三生夢、百歳身、 三生の夢、百歳の身、
空唯有衰草荒墳。 むなしくただ有り、衰草の荒墳。
(仏教でいう)過去・現在・未来に生まれ変わってみる夢から醒めてしまい、百年以内しか生きない肉体を棄てて、
いまここにあるのは、枯草に覆われ、誰も掃除もしない墓ばかりだ。
「遺族の前で「誰も掃除しない墓」とは何事だ」
「うわーい、怒られまちたー」
「逃げまーちゅ」
お供えのまんじゅうや麺類を持って、逃げて行ってしまいました。
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無邪気なコドモのように見えますが、こいつらもみんな窮迫しているのである。もうダメだ。おいらも追い込まれています。このまま潰される前に逃げることにしましたが、果たして逃げ切れるか。