世間から逃れ隠れても、後悔することがない。
今日は「昭和の日」でした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「昭和の日」は、以前は「みどりの日」でした。樹木は大切にしなければなりませんね。
さて、
澤滅木、大過。君子以独立不懼、遯世無悶。
澤の木を滅ぼすは「大過」なり。君子以て独立して懼れず、遯世して悶ゆる無し。
池や沼や沢が木を死滅させるのは「大いに行き過ぎ」である。立派なひとはこのことから、独立して懼れず、遯世して悶えることがない。
わ。なんだ、これ。わけわからん。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これは「周易」大過の卦の「象伝」(卦の形に関する古代の注釈)です。
と言ってもわけわからんので、コドモ大先生の説明を聞いてみます。
「そもそもでちゅな」
とコドモ大先生が付け髭を捻りながら教えてくれますことには・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
澤潤養於木者也、乃至滅没於木、則過甚矣。
澤は木において潤養する者なり、すなわち木において滅没するに至れば、過ぐること甚だし。
池沢というものは本来、樹木に水分を供給し、養うものである。ところが、その池沢が木を水没して死滅させるほどに深くなってしまうのでは、あまりに行き過ぎというべきであろう。
これが、周易の「大過」という卦の象(すがた)で、「大過」は
☱ 兌=沢
☴ 巽=木
から成っており、上にある「兌」(ダ)は「沢」、下にある「巽」(ソン)は「風」とか「木」のすがた、ということになっておりますので、これを合わせた「大過」は「沢」の下に「木」が沈んでしまっているすがた、ということになります。
君子観大過之象、以立其大過人之行。
君子、「大過」の象を観て、以てその大いに人に過ぐるの行を立つ。
(宮崎市貞先生が「君子・・・」という構文は「立派なひとは・・・する」と訳すより、「君たちは、・・・しなさい」と訳した方がぴったりするよー、とおっしゃっていたので(「新・論語の読み方」)、それに倣ってみます。)
みなさんは、この「大過」のすがたを観察し、普通の人を大きく超越した行為をしなければならん(、と考えなければなりません)ですぞ。
人を大きく超越した行為とはどういう行為であろうか。
それが、上の
独立不懼、遯世無悶。
独立して懼れず、遯世して悶える無し。
他に依存せずにいてビビらず、世間から逃げ出してしまっても後悔しない。
なわけです。
「わかりまちたか?」
「いやいやまだわかりませんね。つまりはどういうことなのでちゅか?」
「ではさらに説明いたちます」
天下非之而不顧、独立不懼也。
天下これを非とすれども顧みず、独立して懼れざるなり。
天下のみんなが「それは間違っている」と言ってもそれに惑わされない。これが「他に依存せずにいてもビビらない」ということである。
挙世不見知而不悔、遯世無悶也。
世を挙げて知られざれども悔いず、遯世して悶ゆる無きなり。
世の中のひとが誰一人として評価してくれないけれども不満に思わない。これが「世間から逃げ出しても後悔しない」ということである。
「ということなのでちゅよー」
とコドモ大先生の教えでちたー。また次回をお楽しみにねー。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
宋・程伊川「周易程氏伝」(「伊川易伝」)より。
おいら、だいぶんこの域には近づいてきたと思います。みなさんももちろんですよね?