友人関係なんてカネがからむとすぐ壊れるらしいです。カネのことは知らんが、食い物のことでは一つのお櫃をめぐって多くのひとびとが争うのを自分の目でも見てきたのではないだろうか。
週の半分まで来た。だがここからが長く、ツラいのである。
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シゴトをするのもおカネのためなのだ、という考え方もありますので、おカネについて考えてみます。
余年六十、尚無二毛、無不称羨、以爲必有養生之訣。
余、年六十なれどもなお二毛無ければ、称羨せざる無く、以て必ず養生の訣有らんと為す。
わたしは六十歳だが、いまだに髪に白いものが混じらず、その点を誰からもほめられ、羨ましがられ、「若さを保つ秘法が何かあるのだろう」と言われる。
「わたし」はもちろん肝冷斎ではありませんので、念のため。
ある日、わたしのところに二人のお客が来た。
一富翁、一寒士坐談。
一は富翁にして一は寒士、坐談す。
おひとりはお金持ちで、もう一人は貧乏書生、この二人とわたしとでいろいろ話をした。
ところで、この二人、
両人年紀皆未過五十、倶鬚髪蒼然、精神衰矣。
両人年紀みないまだ五十を過ぎざるに、ともに鬚髪蒼然として、精神衰えたり。
どちらも年齢はまだ五十前だというのに、ヒゲも髪も白くなって、気力や体力も衰えていた。
二人ともわたしに「どうやったらそんなふうに若々しくしていられるんですか」と訊ねるのだが、
余笑而不答、別後謂人。
余笑いて答えず、別後に人に謂えり。
わたしはその秘訣をこの二人の前では苦笑して答えず、二人が帰った後で、別のひとに話したのである。
銀銭怪物、令人髪白。
銀銭は怪物なり、人の髪をして白くせしむ。
「カネというのは恐ろしいやつじゃなあ。ひとの髪を真っ白にしてしまうのだから」
と。
其一太多、一太少也。
その一ははなはだ多く、一ははなはだ少なきなり。
一方は多すぎてそれを守るのに必死になり、もう一方は少なすぎてそれを手に入れるのに必死になる。
このために心身を使いすぎるのであるから、
須要不多不少。
すべからく多からず少なからざるを要す。
つねに、多くも少なくもない、という状態にしておかねばならない。
これが若さを保つ秘訣である。
さて、金銭関係では、もう一つ言っておきたい。
凡親友有以貧乏来告借者、亦不得已也。不若随我力量少資助之為是。
およそ親友の貧乏を以て来たりて借るを告ぐる者有るは、また已むを得ざるなり。我が力量に随いて少しくこれを資助するにしかざるを是と為す。
一般に、親しい友人が貧乏で困ってしまって、借金を申し入れに来るのは、しようがないことである。自分の資力に応じて少しでも助けてやるにこしたことはない。
ところが、
借則甚易、還則甚難、取索頻頻、怨由是起。
借りるは甚だ易きも、還すは甚だ難く、取索頻々たらば、怨みこれによりて起こる。
貸し借りするときは実は簡単なことなのである。問題は返してもらうときの方で、もし何度も返してくれと要求すると、怨恨がそこから始まるものなのだ。
ではどうすればいいかといいますに、わたしに意見があります。
若少有以与之、則人可忘情於我、我亦可忘情於人。
もし少し以てこれに与うる有れば、人、我において情を忘るべく、我また人において情を忘るべし。
可能なレベルで貸すのではなく与えてしまえば、相手はわたしに返さなければと苦しまなくていいし、わたしは相手に返してもらわなければと苦しまなくてもいい。
人我両忘、是為善道。
人我両(ふた)つながら忘る、これ善道たり。
相手もわたしも苦しまないですむのである。これはウイン=ウインなやり方であるまいか。
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清・銭泳「履園叢話」七より。梅渓先生にはほかにも御意見があるようで、
「もっとしゃべらせるのじゃー」
とうるさいのですが、わたしどもは明日もシゴトの身の上、今日はここまでといたします。