出家した「ぶた」。ワンランクレベルアップして「ぶった」に変化。
もうダメだ。職業生活限界か。そうだ、出家しよう。
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じょりじょりじょりじょり・・・。出家いたちまちたー。
出家したら楽になるのかな。
南宋の楊誠斎先生に訊いてみまーちゅ。
瀝血抄経奈若何、 血を瀝(そそ)ぎて経を抄するも、なんじをいかんせん。
十年依旧一頭陀。 十年旧に依りて一頭陀なり。
墨がないので、指先を切って血を出し、それを用いて経典を写す。そんな苦労もあなたを変えはしない。
十年前から変わりなく、頭陀(苦行者)として行動しているのだ。、
袈裟未著愁多事、 袈裟いまだ著せざるに多事を愁うに、
著了袈裟事更多。 袈裟を著了して事さらに多し。
袈裟をいまだ着ていなかったころ(出家する前)、いろんなめんどうなことが多いのでイヤになっていたが、
袈裟を着た(出家した)今、さらに多くの苦労をしなければならんのだ。
「送徳輪行者」(徳輪行者を送る)。
さて、仏教徒の徳輪どのは、出家前より出家後の方がたいへんな苦労をしておられるということだが、
今世儒生竭半生之精力以応挙覓官、幸而得之、便指為富貴安逸之媒、非特於学問切己事不知尽心、而書冊亦幾絶交。
今世の儒生半生の精力を竭して以て挙に応じ官を覓(もと)め、幸いにしてこれを得るや、すなわち指して富貴安逸の媒と為し、特に学問切己の事において心を尽くすを知らざるのみにあらず、書冊もまたほとんど交わりを絶つ。
いまどきの若い儒者というのは、半生三十年ぐらいの精力を空っぽにするぐらい努力して試験を受け、官職を求めている。幸いにして官職を得ると、官職を富貴や安逸の手段と考え、自分に切実な学問についてはもはや心を尽くしてけるはげむということをしないばかりではなく、そもそも書物なるものにも、ほとんど見向きもしなくなる。
まさに
一登吏部選、筆硯随掃除者多矣。是未知著了袈裟之事更多也。
一たび吏部の選に登れば、筆硯随いて掃除する者多きかな。これ、袈裟を著了しての事さらに多きをいまだ知らざるなり。
「ひとたび官吏登用省の試験にパスすれば、筆や硯はどこかにやってしまう」という者が多いのだ。これは、袈裟を着たあとこそ苦労が多い、ということを認識していない輩である。
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宋・羅大経「鶴林玉露」巻八より。出家するとたいへんなんだそうです。出家止めようかな・・・。
羅大経から400年ぐらい経たころ、こんなこともあったそうです。
近呉湖州園次遊廣州、有僧大汕者、日伺候督撫、将軍、諸監司之門。一日向呉自述酬応雑遝、不堪其苦。
近く、呉湖州園次の広州に遊ぶに、僧・大汕なる者、日びに督撫、将軍、諸監司の門に伺候する有り。一日、呉に向かいて自述するに、酬応雑遝(ざつとう)してその苦に堪えず、と。
近ごろ、湖州の知事をしていた呉園次が広州に出かけたときのこと、大汕(だいせん)という僧侶が、毎日毎日、総督や将軍やもろもろの役所の門に出向いてご機嫌を取り結んでいた。ある日、彼が呉園次に言うには、「交際して雑事をこなすのに忙しく、こんな苦労はもうイヤですよ」と。
そこで、呉園次答えて曰く、
汝既苦之、何不出了家。
汝すでにこれを苦しむ、何ぞ家を出了せざるや。
「おまえさんはこんな苦悩を経験しているのに、どうして出家しないでいるのだ?」
と。
これを聞くひと、みな大いに笑った、という。
けだし、楊誠斎の
袈裟いまだ著せざるに多事を愁うに、袈裟を著了して事さらに多し。
とは、まさにこのことであろう。
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清・王子f「香祖筆記」より。
わーい、出家したらまた出家しないといけないみたいです。絶望的。