平成29年1月2日(月)  目次へ  前回に戻る

「おまえたちもおいらのように上手く飛べるように練習するでコッコ。代償を求めずに教えてやるでコッコ」「難しいでピヨピヨ」「コッコ先生も大して飛べてないでピヨピヨ」

仕事初めが気になって、もうダメだ。仕事をするのには忍びないのだ。

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戦国のひと魯仲連は斉のひとであるが、奇偉の画策を好みあえて一国に仕官することなく、趙の国に遊説に来ておった。そのとき、秦は趙の都・邯鄲を包囲し、趙がその対応に苦しんでいるところへ、隣国の魏の国使・新垣衍(ガッキーではなく残念ながら「しんえん・えん」と読みます)が現れ、(秦の内意を受けて、各国が秦と同盟する連衡策を受けて)「秦王を「帝」と呼ぶことを表明すれば、秦は囲みを解くことでありましょう」と進言したので、趙の国論はこれに靡かんとした。

ここにおいて仲連は趙の宰相・平原君(彼は反秦派すなわち合従策を採っている)のもとを訪れ、新垣衍を紹介するよう乞うた。

平原君は喜んで、仲連を新垣衍に面会せしめた。

衍曰く、

「あなたが魯仲連どのか。いまこの城は囲まれておりまする。他国の方はみな逃げ出すか、あるいは宰相の平原君に献策しようとする者(すなわち合従策の不利と連衡策の利点を説く者)だけでございましょう。どうしてあなたは逃げ出そうともせず、平原君に献策なされようともしないのか」

仲連曰く、

「あなたは鮑焦の逸話を御存知でございましょう。彼は世の中がイヤになって木を抱いたまま死んだのでございます。世間のひとは彼のことを一身の好悪のために死んだのだ、と思っておりますが、そうではありません。彼はいにしえよりの無為の社会を良しとし、功利の政治を否定して死を選んだ志士だったのです。

さて、

彼秦棄礼義、上首功之国也。権使其士、虜使其民。彼即為帝、則連蹈海而死耳。不忍為之民也。

かの秦は礼義を棄て、首功を上とするの国なり。権にしてその士を使い、虜としてその民を使う。彼すなわち帝と為らば、連は海を蹈みて死するのみ。これが民と為るに忍びざるなり。

あの秦の国は、いにしえより伝わる礼楽や道義によるまつりごとを否定し、戦時において首をいくつとったか、という功績を貴ぶという国です。権詐(うそいつわり)によって自由民たちを使い、捕虜奴隷のようにその人民を使用しております。あの国の王が各王国を統率する「帝」となるようであれば、わたくし仲連は海を歩いて渡って(←すなわち「入水して」)死んでしまうばかりです。あの国の民となるのはイヤだからであります。

あなたは魏の国を代表して、魏の国が採っている連衡策に沿って秦のために説いておられるようだが、あなたの主君である魏の王さまも、いずれ使われるだけ使われて、塩辛にされてしまいますぞ、わしが魏王を陥れようと思ったら、秦王にこうこうこう、と説きますぞ・・・(以下略)」

と新垣衍に説明したので、新垣衍はついに連衡策を棄ててしまい、自ら趙国の重臣たちに合従策を説くに至った。

「魏の国使・新垣衍さえ秦を帝と呼んではならん、と言い出したぞ」

こうして趙の国論は合従・反秦で統一された。その後、魏の国内で、平原君と連絡した信陵君が兵権を盗んで趙を救うに及んで、ついに秦はその囲みを解いて撤退したのであった。

こと終わって、平原君は魯仲連に領地を与えようとした。しかし、仲連は三度までこれを断って、ついに受けなかった。

そこで、平原君は

置酒、酒酣起前、以千金為魯連寿。

酒を置き、酒たけなわにして前に起ちて、千金を以て魯連のために寿(ことほ)がんとす。

宴会を開いた。宴会たけなわな時に、前に立って、「魯仲連どのの将来を祝って千金を贈与いたす」と宣言したのであった。

すると、魯仲連は大笑いしまして、曰く、

所貴於天下之士者、為人排患釈難解紛乱而無取也。即有取者、是商賈之事也。而連不忍為也。

天下の士において貴ぶ所のものは、人のために患(うれ)いを排し、解きがたきの紛乱を釈(と)きて取る無きなり。即ち取る有る者は、これ商賈の事なり。而して連は為すに忍びざるなり。

「天下のサムライたちが貴ぶのは、これと思った人のためにその困っていることを取り除き、解決の難しい複雑な問題を終わらせて、その上に何の謝礼も受けないことです。その行為に対して何かの謝礼を受けるようでは、これはもう商人のやることだ。わしはそんなことはイヤなのでございます」

こう言って、ついに平原君のもとから去り、

終身不復見。

終身また見えず。

生涯、ふたたび面会することは無かった。

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「史記」巻八十三「魯仲連鄒陽列伝」より。前半は「死んでも従わない」という強い意志を示す「仲連蹈海」の故事として「蒙求」巻中にも所収されております。

魯仲連のような、戦国のいわゆる「説客」の生きざま、カッコいい。シビれる、あこがれる〜。みなさんもそう思うでしょう?

この魯仲連のスタイルにあこがれているのは、わたしどもだけではありませんでした。

・・・魯仲連ガ廉直とて名よ(めいよ)の事なり。

とおっしゃるのは、曹洞宗の開祖・永平道元さまでございます。

俗なほ賢者なるは、我レそノ人としてそノ道の能を成すばかりなり。代わりを得んと思ハず。学人の用心も是(かく)ノごとクなるべし。仏道に入リては仏法のために諸事を行じて、代リに所得あらんと思フべかラず。内外(ないげ)の諸教に、皆無所得なれとのみ進むるなり。

俗人であっても(魯仲連のような)賢者であると、自分として、自分の領分でやれることをきちんとやることだけを重視し、代償を得ようなどとは思わないものなのである。仏法を学ぶ人の心ざまもこのようにあらねばなりません。仏の道に入った以上は、仏の法を遂行するためにすべてのことをやり、代償として何かを得ようなどと思ってはならないのです。仏教でも、世俗においても、何か代償を得ようと思わないようにしよう、ということばかり、推奨しているのですよ。

と、「正法眼蔵随聞記」二ノ七に書いてあった。ありがたいことである。行為に代償など求めてはいけないのだ。

話かわりますが、おいらはこのたった三日間で、なんと3キロ増。わずかな安逸のために代償として大きなものを失ったのである。しかも未来からは、仕事始めの足音が、ひたひたと近づいている・・・。

 

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