平成28年12月25日(日)  目次へ  前回に戻る

ぶたサンタは煙突に詰まってしまった。背後より忍び寄る忍者の姿・・・。事情はよくわからないが、進退窮まった状態なのであろう。おいらの明日からの平日と同じなのだ。かなりツライ仕事がまだあるのだ。

東方の三人の博士が、ベツレヘムの空に見慣れぬ星を見つけて、「神さまのお子様が生まれまちたよー」とそれぞれに贈り物を持って馬小屋に向かって・・・から、2050年ぐらい経ったことになっているのかな。もともと古い冬至祭に淵源するという聖誕祭=キリスト・ミサという言い方は、現代では政治的に適正でないので、今は「ハッピー・ホリデー」と言わないといけないらしいんです。

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ベツレヘムの星は彗星であったのか超新星であったのか、はたまたUFOのごとくひとびとの共同幻想であったのか、は今確かめるすべを持ちませんが、天の一部を指して「あれはベツレヘムの方だ」と分かるためには「天の一領域と地上の一地域が対応する」という考え方(チャイナではこれを「分野説」といいます)が成立していたことの証となります。この考え方は古くメソポタミアから発したそうですが、チャイナでは天の領域を二十八に分け、それぞれに所属する星を定める「二十八星宿」に発展いたしました。

さて、これは明のはじめのころのこと、洪武帝がある月夜に夜空を仰ぎ見ながら、おそばの侍臣・開済と申す者(おそらく道化と思われます)にお訊ねになられた。

古云二十八宿、信有之乎。

いにしえ云うところの二十八宿、まことにこれ有りや。

「古代から二十八星宿の説が伝えられているが、二十八の星宿というものが実在しているのであろうか?」

―――単なる星の移動を記録するための作業概念なのではないかね?

という合理的なご質問だったのだろうと思われますが、開済はにこやかに答えた。

豈惟有神、莫不有形。以陛下精誠、可因祭享而致也。

あにこれ神有るのみならんや、形有らざる莫(な)し。陛下の精誠を以てせば、祭享に因りて致すも可なり。

「もちろん霊的な力の源泉としての星宿が存在しますが、それだけでなく物体としても実在しておりまちゅる。陛下の精神力と誠実さを以てすれば、祭祀に対応して星宿を呼び寄せることもできましょう」

「ほんとうかね?」

ここにおいて皇帝は天文官に吉日を選択させ、二十八の祭壇を設けて、祭壇の前に香り高い美しい果実や無茶苦茶うまくていい匂いのする食い物などを並べ、

毎坐用飛絮為褥、試其来否。

毎坐に飛絮を用いて褥(しとね)と為し、その来たるや否やを試む。

それぞれに祭壇に設けた神の座には、ふわふわしたワタを使って敷物にし、そこに何かが載ったらへっこんで、その実在を確認できるようにした。

こうして開済に祭祀をつかさどらせ、祭祀が終わってから確認したのである。

すると、なんという不思議なことでありましょうか、

絮鋩皆尽、隠隠褥上有列獣形。

絮鋩(じょぼう)みなことごとく、隠隠として褥上に獣形を列ぬる有り。

どの台座も、ワタのけばけばがへっこんで、敷物の上に目に見えないモノが載ったらしく、いろんなドウブツの形が並んでいたのであった。

ただし、それは26個の台座について、であって、

惟婁、觜両星不来、褥鋩如故。

ただ婁(ろう)・觜(し)両星のみ来たらず、褥の鋩、もとの如し。

婁宿と觜宿の二つの星宿が来ていないらしく、その二宿に該たる台座のけばけばはそのままになっていた。

帝は開済に問われた。

此二星何為不至也。

この二星、何すれぞ至らざるや。

「この二つの星宿は、どうして来なかったのかね?」

開済は答えた、

已在人間久矣。

すでに人間(じんかん)に在りて久しきかな。

「だいぶん前からニンゲン世界に来ているんでちゅよ」

「ほう」

帝は目をぎらりと光らせて、問うた。

応象者誰。

象に応ずる者は誰ぞ。

「ニンゲン世界でそいつらはどういう人になっているのかね?」

「うっしっし」

開済はにこやかに答えた、

陛下即婁金狗、臣乃觜水猿也。

陛下すなわち婁金狗(ろうきんく)、臣すなわち觜水猿(しすいえん)なり。

「陛下が実は婁宿の精・金属のイヌでございまして、おいらがなんと觜宿の精・水のサルなのでございまちゅる」

「わっはっはっはっは」

上笑、曰爾亦応二象乎。

上笑いて曰く、「爾もまた二象に応ずるか」と。

帝は豪快にお笑いになりまして、おっしゃった。

「そうか、おまえも星宿の一つであったのか」

しかし、その目は笑っていなかった。

「よしよし、それでは褒美をやろう」

「わーい、うれしいな」

帝は、おっしゃった。

「おい、アレを持ってまいれ!」

遂命舁殿前金銅仙人、与済対飲。

遂に命じて殿前の金銅仙人を舁かせ、済と対飲せしむ。

なんと、近侍の者たちに命じて、宮殿前の青銅で作られた仙人像=金銅仙人を担いで来させ、開済の前に置いて、この像とサシでお酒を飲ませたのであった。

さあ、どれだけ飲んでもいいのだぞ。金銅仙人が酔いつぶれるまでは」

「むむ、ありがたきシアワセ」

開済の盃に注いだ酒と同量の酒を、中ががらんどうの金銅仙人の頭の穴から流し込むのだ。

飲至数石、仙人之腹已不能容。

飲むこと数石に至り、仙人の腹すでに容るるあたわず。

明代の1升は1リットル相当であったそうですので、1石=100升≒100リットル。

一人当たり数百リットル飲んだあたりで、金銅仙人の中はいっぱいになり、これ以上入らなくなった。

そして、

而済酔死矣。

而して済は酔死せり。

一方の開済はすでに酔い死んでいた。

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うわーい、チャイナで権威に挑戦したら、やっぱりコロされるんでちゅなあ。明・銭希言「獪園」巻十一より。

 

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