堅固な信仰心を持たぬ者は、剃髪といっても耳を頭に貼りつけるだけで誤魔化していることが多い。
やっと一日が終わった、とはいえまだ月曜日だった。
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ふらりと六条河原などに行きますと、
「わーい、斬首だ、罪人の斬首がありまちゅよー」「わーい」「わーい」
とひとびとが集まっている。
お。罪人が首を斬られるところだぞ。よし、あの罪人のキモチになってうたってみましょう。
六条河畔断頭場、 六条河畔の断頭場、
逼面殺人三尺鋩。 面に逼りて人を殺す三尺の鋩。
六条河原の首切り刑場で、
おいらの顔に迫りくるのは、人を殺す三尺の剣の切先だ。
こうなっては、すべてを諦めた。諦めた目で見ると、
伎窮情尽魔途失、 伎は窮まり情は尽き、魔途失われ、
空断春閨夢裡腸。 空しく断ず、春閨夢裡の腸。
どんな技術も役に立たぬし、感情も尽き果て・・・、おお、ありがたいことに魔の忍び入る通路が無くなった。
あとは、春のベッドの上で夢みていたこの幸せな内臓が残っているだけだ。これを、意味も無く斬るだけだ。
「さあ、斬ってくださいよー」
と覚悟が大切である。
罪人は一人だけではなく、次々に引き出されてきて斬られているぞ。
或人瞠眼或低頭、 ある人は眼を瞠り、あるいは頭を低(た)るるも、
皆是波旬之道流。 みなこれ波旬の道流(どうる)なり。
あるひとはぎらぎらと目を見開いているし、あるひとはしおしおとアタマを下げているが、
みんな波旬=悪魔でありながら、もうこうなっては道流=仏法の求道者というべきであろう。
乾坤風月総是剣、 乾坤・風月、すべてこれ剣、
大地山河満目愁。 大地山河満目の愁い。
天も地も風も月も、すべて剣となって逼ってくる。
大地も山も河も目に映るすべては悲しんでいるのだ(おいらが死ぬから)。
これだけ悟ったら楽に死ねる・・・・・・わけにはいかないか。
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一休宗純「代断頭罪人二首」(断頭の罪人に代わる、二首)、「狂雲集」より。
一休さんの詩はずばずばと斬り込んで来るからオモシロいなあ。まさに室町の時代精神というべきか。今まさに首斬られようとしている罪人に代わって詠む、なんて、ほかの誰もこんなこと考えつかないであろう。そして社会批判やら不条理やら実存やらそんなことには無関係にポコポコと首を斬られていく・・・室町時代精神といわずしてなんであろうか。