こいつらに出会ってクダでも巻かれたら不吉である。
まだ木曜日だった。金曜日だと思って地表に出てきたので寒かった。日曜日の夜に気を失って、意識不明のうちに金曜日の夜になって目が醒めた―――みたいな幸運がないと毎週ツラい。
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ドウブツ関係のたとえ話はオモシロいなあ。
春秋の時代、斉の景公(在位前547〜前490)が狩猟に出かけた。
その日は、
上山見虎、下澤見蛇。
山に上りては虎を見、澤に下りては蛇を見たり。
山に登ったらトラに出会い、谷に降りてみたらヘビが出てきた。
「どこに行ってもヤバいドウブツに出会うとは。どうも不吉な予兆ではなかろうか」
心配になった景公は、帰ってきて、宰相の賢者・晏嬰を呼びまして、問うた。
今日寡人出猟、上山則見虎、下澤則見蛇。殆所謂之不祥也。
今日、寡人猟に出づるに、山に上りては虎を見、澤に下りては蛇を見たり。ほとんど謂うところの不祥ならんか。
「今日、わたしは狩猟に出かけたが、山に登ったらトラに出会い、谷に降りてみたらヘビが出てきた。おそらく、いわゆる不吉な予兆ではないかと思うのだ」
「はあ?」
晏嬰はぽかんと口をあけて、景公を見つめた。
「あの、殿、申し上げますが、
国有三不祥、是不与焉。
国に三の不祥有るも、これ与からざるなり。
国には三つの不吉な予兆がございますが、公が本日経験なさったことはどれにも当たりませんぞ」
「ほう、そうか。では、安心してよいのだな・・・」
景公はほっとした。
「そうです。・・・ところで、殿は、どういう場合が不吉な予兆になるのか、お聞きになりたくはありませんか」
「そうか、では、聞かせてもらえまいか」
景公はほっとしたので、気分よくお訊ねになりました。晏嬰はにやにやして、話し始めた。
夫有賢而不知、一不祥。
それ、賢有りて知らざるは、一の不祥なり。
「さてさて。領内に賢者がいるのに、それを君主が知らない―――。これが第一の不吉な予兆でございます」
「ほう」
知而不用、二不祥。
知りて用いざるは、二の不祥なり。
「賢者がいるのを知ったのに、そのひとを登用しない―――。これが第二の不吉な予兆でございます」
「ふむ」
用而不任、三不祥也。
用いて任ぜざるは、三の不祥なり。
「賢者を登用したのに、重要なことを任せない―――。これが第三の不吉な予兆でございます。
国にこの三つのことがあれば、その国の力が傾いていくのは必定でございます。
所謂不祥、乃若此者也。今、上山見虎、虎之室也。下澤見蛇、蛇之穴也。如虎之室、如蛇之穴而見之、曷為不祥也。
いわゆる不祥なるものはすなわちかくのごときものなり。今、山に上りて虎を見るは、虎の室ならん。澤に下りて蛇を見るは、蛇の穴ならん。虎の室のごとき、蛇の穴のごとき、これを見る、なんぞ不祥と為すや。
いわゆる不吉な予兆というのは、こういうことをいうのでございます。ところで、山に登ったらトラがいた、というのは、トラの巣があったのでしょう。谷に降りたらヘビが出た、というのは、ヘビの穴があったのでございましょう。山にトラの巣があってトラを見た、谷にヘビの穴があってヘビを見た―――当たり前のことで、不吉だの予兆だのというようなことではございません」
景公は途中から、うなだれて無言で聴いていたということである。
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「晏子春秋」内篇諫下より(「説苑」巻一「君道篇」所収)。ヤラれましたね。要らんこと訊くからですよ。