平成28年11月9日(水)  目次へ  前回に戻る

ゲタで受け止められなければ、顔などで受け止めることになり、ツラの皮の厚さが必要となる。

本日はちょっと地上にボコッと出てみたら、取り囲まれまして、「人数が多い方がよいからな、こいつも付け加えよう」と言われ、えらいひとたちの一行の一番後ろについて見学した。ツラの皮が厚いといわれても弁明しようがない。

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古代、弓の大会は人気のあるものだったそうで、

孔子射于矍相之圃、蓋観者如堵墻。

孔子、矍相の圃に射するに、けだし観者堵墻の如し。

孔子が矍相(かくそう)の野で弓を射る大会を行ったとき、見物人が土塀のように回りを取り巻いた。

古代の弓の大会は単に見るだけではなかったようです。

射至于司馬、使子路執弓矢出延射。

射の司馬に至るに、子路をして弓矢を執りて出でて射を延(すす)めしむ。

大会がどんどん進んで、(最後の射手である)審判が登場したところで、(孔子は弟子の)子路に、弓矢を持たせて会場の外の見物人の前に出て、射に参加することを勧めさせた。

という参加型の大会であった。

ただし、みんながみんな参加できたわけではなく、子路呼ばわって曰く、

賁軍之将、亡国之大夫、与為人後者不入、其余皆入。

賁軍の将、亡国の大夫と人の後と為る者は入らず、その余みな入れ。

「敗軍の将、国をうしなった重臣、それと子どもの無い他人の跡継ぎになった者、この三者はダメだが、それ以外の者は誰でも参加してよいぞ」

と。

けだし、敗軍の将には勇気が足らない、亡国の臣には忠義が足らない、他人の跡継ぎになった者は利益のために自分の親族を棄てたと推定される、ことから、弓大会には出場権が無い、とされたそうである。

すると、このとき、

蓋去者半、入者半。

けだし去る者半ば、入る者半ばなり。

半分は出場せずに去ってしまい、半分が出場した。

参加型の上に、あとから参加したひとの射も終わると、みんなで打ち上げをする、という宴会附きの行事でもあった。

しかし、この宴会にも、みんながみんな参加できるわけではなかった。

孔子の命を受けて、公罔襲(こうもうしゅう)が進み出て、

揚觶而語、曰、幼壮孝弟、耆耋好礼、不従流俗、修身以俟死者、不。在此位也。

觶(し)を揚げて語りて曰く、「幼壮にして孝弟、耆耋(きてつ)にして礼を好み、流俗に従わず、身を修めて以て死を俟つ者、あらざるや。この位に在るなり」。

さかずきを高く持ち上げながら言った。

「幼いころ、若いころには親や年長者を大切にしたひと。年老いてからは礼を好んでいるひと。はやりに流されることなく、行いを慎んでいつか来る死に向けて準備しているひと。こんな人がいれば、お客人の扱いをするので宴会に参加していただきたい」

すると、

去者半、処者半。

去る者半ば、処る者半ばなり。

半分は会場から出ていってしまい、半分が居残った。

これで四分の一になりました。

最後に、序点が出てきて、やはり

揚觶而語曰、好学不倦、好礼不変、旄期称道不乱者、不。在此位也。

觶を揚げて語りて曰く、「学を好みて倦まず、礼を好みて変じず、旄(ぼう)・期も道を称(たた)えて乱れざる者、あらざるや。この位に在るなり」。

さかずきを高く持ち上げながら言った。

「学問が好きでサボることなく、礼を好んでブレることなく、旄(80〜90歳)、期(100歳)になっても行うべきことを行うことを称賛し、過つことが無い人。こんなひとがいれば、お客人の扱いをするので宴会に参加していただきたい」

すると、残った四分の一も互いに顔を見合わせたりして、結局

僅有存者。

僅かに存する者有り。

残ったのは本当に少人数になってしまった。

この人たちが宴会に参加できたそうである。

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「礼記」第四十六「射義」より。最後まで残ったひとたちは、立派なひとだったのかツラの皮が分厚かったのか。

そういえば今日は米国大統領選挙。これまでああたらこうたら予想して来たひとで結果が大外れのひとたちのツラの皮の厚さはどれぐらいであろうか。

 

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