忍者のように、体温を低め、動悸や血流までも最低限にして隠れていなければならぬ。
シゴトから逃げ出し、見つからないように地下に潜って活動を最低限まで低めているわけですが、そういう中でも人格は磨かねばならないらしいのです。
・・・・・・・・・・・・・
あるとき、弟子の子夏が質問いたしました。
三王之徳、参于天地。敢問何如斯可謂参于天地矣。
三王の徳、天・地に参ず。あえて問う、何如んぞこれ、天地に参ずと謂うべきや。
「先生、夏の禹王、殷の湯王、周の文王・武王、彼ら理想的な王者たちの持ち前は、天と地のしごとに参加するほどであった、といいます。そこで、ドキドキしますが勇気を持って質問します、天と地のしごとに参加する、というのはどんなことをいうのでしょうか」
孔子が答えておっしゃった。
奉三無私以労天下。
三無私を奉じて以て天下を労(いた)われり。
「三つの「無私」を大切に押し立てていくことによって、天下のひとびとをいたわる、ということをいうのだ」
敢問何謂三無私。
あえて問う、何をか三無私と謂うか。
「ドキドキしますが勇気を持って質問しますよ。「三つの「無私」」とはどんなことをいうのでしょうか」
孔子はおっしゃった。
天無私覆、地無私載、日月無私照。奉斯三者、以労天下、此之謂三無私。
天に私覆無く、地に私載無く、日月に私照無し。この三者を奉じ、以て天下を労わる、これをこれ三無私と謂う。
「天はえこひいきをせずに地上のすべてを覆っているではないか。地はえこひいきをせずに地上のすべてを載せているではないか。太陽と月はえこひいきをせずに地上のすべてに光を降り注ぐではないか。この三つのことをたいせつに押し立てて、天下のひとびとをいたわる、これを「三つの「無私」」というのだ」
「なるほど」
また孔子がおっしゃった。
(中略)
天有四時、春秋冬夏、風雨霜露、無非教也。
天に四時あり、春秋冬夏、風雨霜露、教えにあらざる無きなり。
「天には四つの季節、すなわち春・秋・冬・夏があり、風・雨・霜・露で代表される天象があるが、(誰にでも公平に訪れるものであり)どれもこれも天の教えでないことがあろうか。
地載神気、神気風霆、風霆流形、庶物露生、無非教也。
地は神気を載せ、神気は風霆し、風霆は流形し、庶物露生するは教えにあらざる無きなり。
地は神秘的な気を載せているが、この神秘的な気は風と雷にすがたを換え、風と雷はあちこちに流れ入って、あらゆるモノを自然に生きさせるのであるが、どれもこれも地の教えでないことがあろうか。
ところで天も地も、その活動は突然に起こるものではない。必ず前触れがある。
清明在躬、気志如神、耆欲将至、有開必先。天降時雨、山川出雲。
清明は躬に在り、気志は神の如く、耆欲まさに至らんとして、必ず先に開くこと有り。天、時雨を降さんとすれば、山川は雲を出だす。
爽やかな明朗さが本体にあり、キモチや志は神霊のようにのびやかであれば、欲望を感じようとするその前に、必ず先に動くものがある。天が時節に応じた雨を降らせようとするときには、必ずその前に山から雲、川から霧が生じるものだ。
(中略)
三代之王也、必先其令聞。
三代の王や、必ずその令聞を先にす。
夏・殷・周の王者たちは、彼らが立派な事業をはじめる前に、すでにその人格から、よい評価がなされていたのである。
おまえたちも、たとえ用いられなくとも、その人格を磨いておかなければならない」
(中略)
子夏はこれを聞くや、
蹶然而起、負墻而立曰、弟子敢不承乎。
蹶然として起ち、墻を負いて立ちて曰く、弟子あえて承わらざらんや。
すっくと立ちあがると、壁のところまで後じさりして(←孔子に敬意を見せたのである)、申し上げた。
「弟子・子夏には、ただいまのお話をたいせつにしない、ということができるでしょうか。いや、できません。必ず大切に守っていきたいと思います」
ちなみに、途中「中略」としたところは、すべて詩経からの引用が入ります。退屈なので訳しませんでした。
・・・・・・・・・・・
「礼記」孔子閑居篇より。よっしゃ、今日もこれで人格磨かれた。感動した。しかし感動しても突然立ち上がったりあんまり騒がないでください。音が聴こえると、やつらに見つかってしまうカモしれないので。
○今日のポイント
天降時雨、山川出雲。(天、時雨を降さんとすれば、山川は雲を出だす。)