おいらは水中に引き込んだりせず、ハナミズをつけてやるでカッパ。
わたしども肝冷斎一族は、社会と絶縁して山中に暮らしております。
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清の時代のこと。
呉のひと金秉銓が杭州から家郷に、大運河を使って船で帰る途中、船員たちと
艤岸造飯。
岸に艤して飯を造る。
岸辺に船をもやって、飯を炊いていた。
そこへ、
一叟形神沮喪、蹣跚而行。力甚不支。憐之、呼与共載。
一叟の形神沮喪し、蹣跚として行くを見る。力甚だ支えざれば、これを憐れみて、呼びてともに載す。
老人が一人、身も心もげっそりとして元気なく、ふらふらと歩いてきた。体力が無くて立っているのもやっとのようである。金秉銓は気の毒に思って、声をかけて一緒に船に乗せてやることにした。
船に乗せてみても、老人は、
其気喘声嘶、亦不与語。過十余里、辞謝登岸。
その気喘ぎ、声嘶れ、またともに語らず。十余里を過ぎて辞謝して岸に登れり。
ぜいぜいと息も整わず、声もしわがれ、話しかけても何も答えられる状態ではないように見えた。十数チャイナ里(10キロ弱)行ったあたりで、老人は(手ぶりで)下船を願い、感謝しながら岸に移った。
そのとき、
遺一小黒布嚢於舷次、舟子匿之。
一小黒布嚢を舷次に遺(わす)れ、舟子これを匿さんとす。
一枚の小さな黒い布袋をふなべりに忘れて行ったので、船員の一人がそれを盗み隠そうとした。
「なにをやっておるんだ」
金秉銓がそれを見つけて取り上げ、
亟呼其返。
しばしば其の返を呼ぶ。
「おいおい、じいさん、忘れものだ、忘れものだ」と繰り返して呼んだ。
ところが、
叟去数歩即不見。
叟去ること数歩にして即ち見えず。
老人は岸に上がって数歩ほど歩いたところで、掻き消えるように見えなくなったのである。
「?」
金と船員も陸に上がって見回したが、どこにもその後ろ姿が見えなかったのであった。
「どこに消えたんだ、あのじいさん・・・」
「この近所のひとなんでしょうけど」
「袋を開いてみれば何か手がかりがわかるかも知れません」
そこで、
啓嚢、共視、乃白紙旛七面。
嚢を啓きて共に視るに、すなわち白紙の旛(はた)七面のみ。
袋を開けてみんなで中身を覗いてみたが、出てきたのは―――白い、紙の旗七枚だけであった。
金は首をひねった。
「これは死者の名前を書いて親族が持つ葬式用の紙の旗だが、どこにも死者の名前が書いてないから手がかりにはならんな。なんにしろ価値のあるものではないぞ」
そこで岸辺にそのまま置いておくことにした。
その晩、
至半夜、舟子起尿、失足堕水、衆共救起、已死。
半夜に至りて、舟子尿に起ちて、足を失いて水に堕ち、衆ともに救起するも、すでに死せり。
真夜中ごろ、(昼間袋を盗もうとした)船員がおしっこをしに起きだして、足を滑らせて川に落ちてしまった。大騒ぎになってみんなで助け上げたが、そのときにはもう死んでいた。
調べてみると船員は水を飲んだ形跡はまったく無く、川に落ちる前にもう死んでいたのではないかと思われたが、このことが昼間の老人と関係があったのかどうか。それさえもわからない不思議な事件であった。
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清・朱海「妄妄録」巻九より。
わしらはこの老人のようなもので、社会人のみなさんと口を利くのもムリです。あと平日三日。絶縁のまま過ごせるか。