平成28年10月11日(火)  目次へ  前回に戻る

おいらは水中に引き込んだりせず、ハナミズをつけてやるでカッパ。

わたしども肝冷斎一族は、社会と絶縁して山中に暮らしております。

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清の時代のこと。

呉のひと金秉銓が杭州から家郷に、大運河を使って船で帰る途中、船員たちと

艤岸造飯。

岸に艤して飯を造る。

岸辺に船をもやって、飯を炊いていた。

そこへ、

一叟形神沮喪、蹣跚而行。力甚不支。憐之、呼与共載。

一叟の形神沮喪し、蹣跚として行くを見る。力甚だ支えざれば、これを憐れみて、呼びてともに載す。

老人が一人、身も心もげっそりとして元気なく、ふらふらと歩いてきた。体力が無くて立っているのもやっとのようである。金秉銓は気の毒に思って、声をかけて一緒に船に乗せてやることにした。

船に乗せてみても、老人は、

其気喘声嘶、亦不与語。過十余里、辞謝登岸。

その気喘ぎ、声嘶れ、またともに語らず。十余里を過ぎて辞謝して岸に登れり。

ぜいぜいと息も整わず、声もしわがれ、話しかけても何も答えられる状態ではないように見えた。十数チャイナ里(10キロ弱)行ったあたりで、老人は(手ぶりで)下船を願い、感謝しながら岸に移った。

そのとき、

遺一小黒布嚢於舷次、舟子匿之。

一小黒布嚢を舷次に遺(わす)れ、舟子これを匿さんとす。

一枚の小さな黒い布袋をふなべりに忘れて行ったので、船員の一人がそれを盗み隠そうとした。

「なにをやっておるんだ」

金秉銓がそれを見つけて取り上げ、

亟呼其返。

しばしば其の返を呼ぶ。

「おいおい、じいさん、忘れものだ、忘れものだ」と繰り返して呼んだ。

ところが、

叟去数歩即不見。

叟去ること数歩にして即ち見えず。

老人は岸に上がって数歩ほど歩いたところで、掻き消えるように見えなくなったのである。

「?」

金と船員も陸に上がって見回したが、どこにもその後ろ姿が見えなかったのであった。

「どこに消えたんだ、あのじいさん・・・」

「この近所のひとなんでしょうけど」

「袋を開いてみれば何か手がかりがわかるかも知れません」

そこで、

啓嚢、共視、乃白紙旛七面。

嚢を啓きて共に視るに、すなわち白紙の旛(はた)七面のみ。

袋を開けてみんなで中身を覗いてみたが、出てきたのは―――白い、紙の旗七枚だけであった。

金は首をひねった。

「これは死者の名前を書いて親族が持つ葬式用の紙の旗だが、どこにも死者の名前が書いてないから手がかりにはならんな。なんにしろ価値のあるものではないぞ」

そこで岸辺にそのまま置いておくことにした。

その晩、

至半夜、舟子起尿、失足堕水、衆共救起、已死。

半夜に至りて、舟子尿に起ちて、足を失いて水に堕ち、衆ともに救起するも、すでに死せり。

真夜中ごろ、(昼間袋を盗もうとした)船員がおしっこをしに起きだして、足を滑らせて川に落ちてしまった。大騒ぎになってみんなで助け上げたが、そのときにはもう死んでいた。

調べてみると船員は水を飲んだ形跡はまったく無く、川に落ちる前にもう死んでいたのではないかと思われたが、このことが昼間の老人と関係があったのかどうか。それさえもわからない不思議な事件であった。

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清・朱海「妄妄録」巻九より。

わしらはこの老人のようなもので、社会人のみなさんと口を利くのもムリです。あと平日三日。絶縁のまま過ごせるか。

 

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