一銭の蓄えも無いけど、まあいいや。
ああ社会と関係無い世界はいいなあ。自然に笑顔になってしまいます。わっはっは。
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ところで、南陽の樊紹述が死んだ。そこで、その書斎を調べに行ってみると、わさわさと著述が出てきて驚いた。
「紀公」と名づけられた書が三十巻、「樊子」という自分が主人公の書がやはり三十巻、「春秋」の注釈を集めた「集伝」十五巻、それから公けに奉った文書や他人の書物の序文・解説、伝記や紀行文、雑論などが二百九十一篇、器物や建物や園庭に関する「雑銘」二百二十、賦十、詩七百十九。
うーん。
わたしは腕組みして、言った。
多矣哉。
多いかな。
すごい量だな。
しかもこれらの文章には、これまでの人々の剽窃らしきものがない。一言一句さえも真似た痕跡が無い。
何其難也。
何ぞそれ難きかな。
なんとたいへんなことだろうか。
彼の文章は必ず仁義のことに触れ、蘊蓄はどんどん増えていくし、あらゆる物事について描写されているのである。まことに
海含地負。
海の含み、地の負うなり。
大海がなにものをも包容し、大地があらゆるものを載せている―――ような内容の豊富な文章なのである。
それを筆の赴くところ、ほしいままに書き広げ、何かに統一しようとしたふうもない。そして、縄をあてたり削ったりして直したあともない。
嗚呼、紹述於斯術、其可謂至於斯極者矣。
嗚呼、紹述のこの術におけるや、それ斯極に至る者と謂うべきなり。
ああ。文芸の世界での樊紹述という人物は、極地まで窮めた者、というべきであろう。
文学的には素晴らしいのです。
ところが、その生活たるや、
生而其家貴富、長而不有其蔵一銭。
生じてその家貴富なれども、長じてはその蔵する一銭をも有せず。
生まれたときは彼の実家はたいへん身分も高く財産も多かった。だが、彼が大人になってあとを継ぐと、一銭のたくわえも無くなった。
大貧乏に落ちぶれたのである。
妻子告不足。
妻子、不足を告ぐ。
女房や子供が「あんた、借金の催促に来たけどお金無いわよ」とか「わーい、とうちゃん、飯買え無くて腹減った」と泣きついた。
女房子供に泣きつかれた彼は、慌てることも騒ぐことも無く、
顧且笑曰我道蓋是也。
顧みて、かつ笑いて曰く、「我が道はけだし是なり」と。
彼らの方を見て、にっこりと笑って言ったのだ、
「わしの目指す道というのは、つまりこういうことなのだ」
と。貧乏こそ正しいのである。
すると、
皆応曰、然。無不意満。
皆応じて曰く、「然り」「意に満たざる無し」と。
女房子供はそれに答えて、
「そのとおりですわ」「おいらもとっても幸せでーちゅ」
と言うのであった。
それほど、彼の徳は周りのひとびとを感化していたのだ。(以下、その生涯の大概を記し、墓碑銘に至るが、省略)
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唐・韓愈「南陽樊紹述墓碑銘」(「唐宋八家文」巻六所収)。貧乏はいいなあ、しあわせそうだなあ。ということでした。わっはっは。
・・・ところで我が一族のうち、いちばんのそのそと動きの悪い足冷斎が行方不明になっております。心配だなあ。わっはっは。