宇宙ブタに捕まって、ぶた円盤に乗せられる。シアワセの国へ行けるかも。
今日は午前中そこそこ強い雨が降ったが、午後は日が射して蒸し蒸しして暑かった。おまけに明後日からはまた出勤かと思うと、心身ともに疲れてきて、頭を低く垂れております。
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チャイナでは正月上元(旧暦の一月十五日)には「灯市」というお祭りがあります。家ごと提灯を出して、それに美しい画や趣味のいい文句を書いて、ひとびとはそれを見て回る、という行事です。
その際、
往往有作灯謎、召人猜打、猜得酬之以物。
往往にして灯謎を作し、人をして猜打せしめて、猜し得ればこれに酬いるに物を以てすること有り。
よく、灯火にナゾナゾを書いておき、見たひとに掛け金を出させて、ナゾナゾを解けた者には賞品あるいは賞金を与える、ということが行われた。
わたし(←肝冷斎ではありません。この文の著者)の友人・呉錦涛はナゾナゾを作るのが苦手だったので、あるとき、わたしがナゾナゾを作ってやったことがある。
次のようなものはなーんだ?
全無骨格足超塵。肉眼何曾識好人。
憑爾自饒鑽刺力。只堪汚下与相親。
揺揺擺擺逞風流。皮相原非冠帯儔。
軒挙人前終福薄。霎時喪気便低頭。
まったく骨格無く足は塵を超ゆ。肉眼には何ぞかつて好人を識らん。
爾に憑るに自ら饒(さかん)なり鑽刺の力。ただ汚下に堪えて、ともに相親しむ。
揺揺(ようよう)擺擺(はいはい)として風流を逞しくす。皮相はもと冠帯の儔(ともがら)にあらず。
人前に軒挙するもついには福薄し。霎時には気を喪いてすなわち低頭す。
ぜんぜん、骨の無いやつで、しかし足は地面につくことはない。
立派なひとの目の前にはなかなか現れることがない。
こちらの意図にかかわりなく、自分で盛んになって、刺したり突っついたり。
汚いこともやってくれて、おいらのステキな友だちなのさ。
ぶらぶら、ひらひらしていて、なかなか風流なやつだ。
その表面はどうも、冠をかぶったり帯を締めたり、というわけにはいかない。
おいらの前ですごく元気に意気軒高になるが、いつまでも幸福というわけではない。
雨の後、晴れ上がったときには、元気を喪失して頭を低く垂れている。
以上。
物一。猜得送銭百文。
物一なり。猜し得れば銭百文を送れ。
答えは、一つのモノである。答えのわかったひとは、銭百文を掛け金にして応募してください。
うっしっし。
呉錦涛はカンの鈍いやつだから
「おい、これの答えは何だ?」
というので、しようがないからはっきり教えてやった。
以陽物作謎。
陽物を以て謎と作すなり。
答えは「○んぽこ」だよ。
と。
「なあるほど」
と呉は、大いにうなずいていた。
さて―――。
お祭りの翌日、呉錦涛が報告に来た。
「いやあ、昨日はびっくりしたよ」
というのである。
「何がびっくりしたんだね」
夜来明明見鬼。
夜来、明々に鬼を見たり。
昨夜はどういうわけか、はっきりと幽霊が見えたんだ。
たくさんの幽霊があちこちの灯火を見ていたが、その中でも、からだの大きな男の幽霊がうちにやってきて、例のナゾナゾに対して百銭を出し、
大笑曰、有銭当猜之。
大笑いして曰く、銭有ればまさにこれを猜すべし。
大笑いしていうに、「このナゾナゾは、銭があれば絶対掛けないともったいないぐらい、簡単だな」と。
そして、おもむろに言う、
是銭也。
是、銭なり。
「答えは・・・「銭」じゃ」
「は、はあ・・・」
「がはははは、図星じゃろう」
即索酬。
即ち酬を索(もと)む。
「さあ、賞金を出しなされ」と要求してきた。
「むむ・・・」
一瞬どうしようかと迷っていると、
「なるほど、なるほど、確かにこれは「銭」だなあ」
と言い合いながら、幽霊たちが続々と集まってきたのだ。
(これはマズいぞ。はやく追い返さなければ・・・)
そこで、わしは、
偽然之、以銭相送。
偽りてこれを然りとし、銭を以て相送る。
いつわって「正解でございます」と答え、二百銭を賞金として渡した。
「うふふ・・・」
幽霊は何とも言えぬうれしそうな目をして、
伸手接取、銭与手倶堕地、銭既四散、胖漢亦滅跡。
手を伸ばして接取するに、銭と手とともに地に堕ち、銭すでに四散、胖漢また跡を滅す。
手を伸ばしてわしの手から銭を受け取った―――と、銭を載せたとたんにそいつの手は地面に溶け落ちて、銭は四方に散らばって暗闇の中に見えなくなり、そいつの姿もまたふうっと消えてしまったのだ―――。
「ほほう、それはたいへんだったな」
わたしは笑いながら、言った。
由此可以弁人鬼矣。但貪銭、是鬼也。
これによりて以て人と鬼を弁うるべし。ただ銭を貪るはこれ鬼なり。
「おかげで生きているニンゲンと幽霊の違いがわかったよ。幽霊の方は(ほかの楽しみは無くて)ただ銭ばかりを欲しがる、というわけだ」
まことにお金を貯めることだけを生きがいにしているひとがいたとしたら、そのひとは生きながらあの世に行ってしまっているのと同じであろう。
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清・朱海「妄妄録」巻九より。
わしは隠者としてもう何百年も生きている老人ですが、たしかにそれでもおカネは欲しい。