もう秋でちゅなあ。山中では。都会はまだまだドロドロと蒸し暑いが。
蒸し蒸しと暑くなって午後からどっと雨が降りまして、今日は神宮球場は雨天中止。体力も気力も奪われて、あとはつけた仮面がいつ剥げるか、だけ。それが剥げたら肝冷斎の留守番なんかやめて、社会からおさらばだ。
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晋のころ、郭文(字・文挙)というひとがありました。
若いころから山水を愛し
尚嘉遯。
嘉遯(かとん)を尚(たっと)ぶ。
(めんどくさい人生のこまごまから)うまく逃げ出すのが大好きであった。
「嘉遯」は、「周易」遯卦の第五爻の爻辞にあるコトバ。
嘉遯。貞吉。
嘉遯なり。貞(ただ)しくして(または「貞(と)うに」)吉なり。
(この爻が出たら)みなによろこばれる遁走のすがた。正しくいていれば(または「占いの結果は」)好運が訪れるであろう。
ということで、祝福されながら引退することをいう。
郭文は、ふらりといなくなり、山林に引っ込んで、十日ぐらい行方不明になるのを常としていたという。
父母終不娶、辞家游名山。
父母終わるも娶らず、家を辞して名山に游(あそ)ぶ。
両親が心配しながら亡くなったあとも世帯を持たず、家を出て名高い山々を遊歴していた。
建興四年(316)、西晋が滅んで洛陽の町が蛮族に占領されると、
歩担入呉興余杭大辟山中、窮谷無人之地。
歩担して呉興・余杭の大辟山中の窮谷無人の地に入る。
ただひとり、徒歩で荷物を背負い、流浪の果てに長江下流の余杭郊外にある大辟山の谷の奥、誰も棲んでいないところに住み着いた。
倚木於樹、苫覆其上而居焉。亦無壁障。
木を樹に倚らせ、苫にてその上を覆いて居れり。また壁障無し。
立木に材木を立てかけてその上を「とま」で覆って、そこを住居にしていた。もちろん、壁など無い。
人里離れた山中である。
時猛獣為暴、而文独宿十余年、卒無患。常著鹿裘葛巾、不飲酒食肉。
時に猛獣暴を為すも、文独宿すること十余年、ついに患(わずら)い無し。常に鹿裘・葛巾を著(つ)け、飲酒・食肉をせず。
よく虎や熊などの猛獣が荒れ狂ったものだが、郭文はたった一人、そんなところに十数年間も暮らし続けていて、とうとう獣害に遇うことはなかった(。ケモノたちも賢者を避けたのである)。彼はいつも鹿の毛皮を着、葛でつくった頭巾をかぶり、酒を飲んだり肉類を食べたりはしなかった。
そのころになるとだいぶん世の中も落ち着いてきていて、賢者にこんな暮らしをさせておくのはいくらなんでもマズかろう、為政者が悪いのでは・・・などという人も出だしたので、東晋の宰相・王導は彼を都の建業に召し寄せて、
置園中、七年未嘗出入。
園中に置くに、七年いまだかつて出入せず。
邸宅の中庭に作った小屋に住まわせたが、それから七年間、一度もこの中庭から外に出なかったのには驚いた。
それほど世間と交際するのをいやがったのである。
後逃帰臨安、結廬山中。
後、逃れて臨安に帰り、山中に結廬す。
その後、ふといなくなったかと思うと、臨安のあたりの山の中に庵を結んで暮らしていたという。
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わしも仮面さえ外せば、このひとのような生き方しかできませぬ。はやく山の中に帰りたいなあ。涼しいしなあ。