「ぶたさま、あれは?」「ぶた円盤でぶう。われらの敵ではないでぶう」
一週間終わり。今週でさえ疲れたのに、来週からはいよいよお盆休みも終わって本格的な仕事が始まる。今日までにこやかだった人たちも「敵」に変じて攻撃的になるのだろうと思うと、もう涙出てきます。肝冷斎のさらに留守番のわしなんかに、こんな厳しい社会についていけるはずないアルよ。
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唐のころ、徳山宣鑑禅師はすでに般若経を研究して何部かの解説書も書いている学僧であったが、龍潭崇信が悟りに至ったというウワサを聞いて、これを訪ね、できれば議論をふっかけてみようとした。
途中、茶店に寄って、店のばばあに餅を一つ注文した。
ばばあ言う、
和尚、買餅為何。
和尚、餅を買いて何を為す。
「和尚さま、餅を買って何にしようとなさるのかな?」
徳山答えて曰く、
買餅当点心。
餅を買いて点心に当てんとす。
「わたしは少し腹が減ったので、あなたから餅を買って、点心(おやつ)にしようと思うのだが・・・」
作麼生(そもさん)!
ばばあが質問した。
「金剛経」に曰く、
過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得。
過去心得べからず、現在心得べからず、未来心得べからず。
過去の心を具体的につかまえることはできない。現在の心を具体的につかまえることはできない。未来の心を具体的につかまえることはできない。
と。
今以何心使餅当点心。
今、いずれの心を以て、餅を点心に当てんとするや。
「おまえさんはいま、餅を買って、過去・現在・未来のどの「心」にひっつけようとしているのじゃ?」
「むむむ・・・」
徳山が答えられぬうちに、ばばあは袖を払って去って行ってしまった。
徳山は大いに反省し、龍潭崇信に議論を吹っ掛けようなどというキモチをきれいに失って、その弟子になった。
・・・そうなのでございます。
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典拠は「伝燈録」などにもあるのだと思いますが、最近、永平道元「正法眼蔵」巻八「心不可得」で読んだ(8月20日付記。「五燈会元」の中で発見。もし書き直すことがあれば、「五燈会元」の記事として紹介することにしたい)。道元禅師のお説では、徳山が反論しなかったこと、ばばあが何の説明もしていないこと、から、徳山もダメだがばばあも何の役にも立たないくそばばあだ、なんだそうです。
それにしても、腹が減ってラーメン屋なり牛めし屋なりに入り、食券を出したとたんに「そもさん!」と言われたらどうしよう。果たしてその店員は敵か味方か・・・と不安になりますね。