この苦しい日々の乗り越え方を教えてくださる賢者さまなら、コドモでもなんでもいいのだ。
一日がやっと終わった! のに、なんとまだ木曜日でした。まだ一日ある。しかも明日は午後にかなりツラい会議があるんだった・・・。
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明日ツラそうなんです。どうすればいいのか、コドモ賢者さまに相談に行ってみます。
「コドモ賢者さま、明日しごとがたいへんそうなんです。どうしたらいいでしょうか」
「おお、たいへんなんでちゅか。
欲了幾処人事。
幾処の人事を了せんと欲するか。
いったい、どれだけの人びとのために仕事を成し遂げようとしているのでちゅかな?」
「え? わたくしが明日の午後の会議でツラい目にあって追い込まれそうでして・・・」
それを聞きまして、
「ぷぷっ」
と賢者さまはお笑いになりました。
某非不願周旋人事者、曷嘗似賢急迫。
某は人事を周旋せんと願う者に非ざるなり、なんぞ嘗て賢の急迫なるに似ん。
「なんだ、おまえちゃんは人びとのために走り回ろうとしているわけではないんでちゅか。いにしえの賢者たちは(人々のためになることをするのに一時でも遅れてはならん、と)追い込まれたようにシゴトをなちゃったものですが、そうではないんでちゅね」
そうでないならばゆったりやって、失敗しても構わないんだそうです。
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「近思録」巻十より。実はこの発言、程氏兄弟のうち、兄貴の春風和気のごとき明道先生のコトバだという説(張伯行「近思録集解」)と弟の秋霜烈日のごとき伊川先生のコトバだという説(茅星来「近思録集注」)があります。おいらは伊川先生が「おまえのやっていることは大したことではないのだ!」と叱っているのではないかと思うのですが、明道先生がにこやかに「大したことではないと思って気楽にやりなさい」と諭してくださっている、ととってもいい。味わい深い大根のようなコトバだと思います。