梅雨末期。夜も蒸し蒸しと暑くなってまいりました。だが、夏になってもカッパのハナミズは引っ込まない。
わたしごとですが、休日も席の温まる暇もありません。結婚式に呼ばれて宴会に出ていて忙しい、地域の集まりなどがあって宴会で忙しい、などであればまたしも社会とのつながりのある行動ですが、そんな社会性のあるものではなく、孤独な所用によるものなんです。
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宴会といいますと、こんなお話がございますな。
南宋の孝宗皇帝(在位1162〜89)の時代に、
賜燕内朝。
燕を内朝に賜うことあり。
「燕」は「宴」のことです。ここでは「ツバメ」ではありません。
宮廷の中で宴会を開いてくだすったことがあった。
政府の高官連中が挙ってお招ばれしていたのだが、その中で、
丞相王淮涕流于酒。
丞相の王淮の涕、酒に流る。
(老齢の)丞相・王淮がハナミズを垂らして、これが酒の中まで流れ込んでいた。
そして、王淮は、
已則復縮涕入鼻観。
已にしてまた涕を縮めて鼻に入るの観あり。
今度は酒の中まで入ったハナミズを啜りあげ、ずずずー、と縮めてまた鼻の中に吸い込む、という姿を見せたのであった。
正面にいた呉公琚はそれを見て茫然とした。
王淮は盃を飲み干すと、その盃を呉公琚の方に差し出し、笑いながら彼に渡して酒を注ごうとしたが、公琚は困った顔をしてこれを断ったのだった。
ずっと上座で、
上其見飲酒輒有難色。
上、その飲酒すなわち難色有るを見る。
皇帝は、呉公琚がお酒を飲むのを嫌がっているのに気付かれた。
「どうしたことであろうか」
微扣左右、知其故。
左右を微扣してその故を知る。
側近たちにそれとなく調べさせて、その理由を知った。
「なるほどのう。これは考えねばならんぞ」
こうして、
後有詔滌爵。滌爵自淮始。
後、詔して滌爵のこと有り。滌爵は淮より始まる。
その後は、皇帝からの通達で、宴会のときには卓上に盃を洗うための水を用意させることとなった。すなわち相手に酒を勧めるときに盃を洗うのは、王淮が始めた、といってもよいのである。
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南宋・葉紹翁「四朝聞見録」甲集より。
ハナミズ啜って吸い戻してはいけません。どうせなら垂らしたままにしておいた方がまだ害は少ない、のカモ。