サルの親子は何に悩んでいる?
今日は葛飾でドボルザークとか聴いてたんです。職業以外の人生ではいいこともあるのだ。しかし、また明日は会社。おいらはコドモなのに、もう三十年も社会人として自分で稼いで食っているんです。心もすれっからしになってまいりますよ。
職業以外の面では、昨日、とある古書店の店頭ワゴンの中に羽嶽・根本通明の「周易講義」(正確には根本の講義を九鬼盛隆が編集したもの。大正十四年初版・昭和九年六版)を発見。これは近年に無い好運であった。「うひゃあ」とか声を出すほどうれしかったが、喜んでいるのがばれると、ほかの客や本屋さんから妬みや羨みからどういう言いがかりをつけられるかわからないので(そんなことは無いと思いますが)、つとめて平静を保って
「いくらですかな」
「○千円ですな」
「うむ、よろしい」
と付け髭をひねって表情を隠しながら買ってまいりました。
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根本羽嶽(1822〜1906)は出羽・秋田のひと、秋田藩儒を経て東京帝大の教授になったが、博士論文の提出を求められても「わしの学問を評価できるやつがいるのか」と言って提出せず、その学識に疑義を呈する者もなかったので、論文無しで博士となったというひとである。「周易」と「論語」に詳しく、その「周易」解釈は古今諸儒の説に通じるが、易学史上ほかに例を見ない説があって、肝冷斎は以前からその著作を手に入れんとしていたのである。
どういう説かといいますと、「周易講義」の序に当たる「読易私記」(漢文)を閲するに、曰く、
聖人之作易也、将以正君臣父子之位、而通神明之徳也。
聖人の易を作るや、将いて以て君臣父子の位を正し、神明の徳を通ぜんとす。
いにしえの聖人が「易」を作ったのは、これによって、君臣・父子の関係を正し、神々の明らかな徳に通じようとしたからなのである。
それ故に、
乾卦以示天子一姓之象矣、蠱卦以示父子相継之義矣。
乾卦は以て天子一姓の象を示し、蠱卦は以て父子相継ぐの義を示すなり。
「乾」の卦は、天子には一の姓しかない、というすがたを示しているのであり、「蠱」(こ)の卦は、父のあとは子が継ぐ、という当然のことを示しているのである。
「乾」は☰+☰から成る六爻純陽の卦である。「蠱」(こ)は上☶下☴の卦で、その爻辞には子が父母のあとを継いで事にあたることが記されている。
「蠱」卦の彖伝(たんでん)に云うではないか。
終則有始、天行也。
終わればすなわち始め有るは、天の行なり。
終わると始まるのが、天のやり方である。
と。
則父終而以子継之。万世一系者、是天之道也。
すなわち、父終わりて以て子これを継ぐ。万世一系なるものはこれ天の道なり。
つまり、父の代が終わって、子がこれを継ぐのである。ということは、万世一系ということこそ、天の法則なのである。
―――と、根本羽嶽は「周易」の根本思想は「万世一系」の天子を仰ぎたてまつることである、という説を立てたのである。
幾憶万年経ツテモ天子ト云フモノハ相続シテ絶ヘル所ノ無キハ猶ホ天ノ長ク易ハラザルガ如キデアル、然ルニ後世ノ様ニ一ツノ天子ガ亡ビテ、又代ツテ天子ガ外カラ起ルト云フ訳デハ無イ、必ズ是レ、皇統一系ナルモノデアル。・・・是ヲ以テ皇統一系タル所ヲ明カニ示サレタ。(「周易講義」乾卦)
900頁以上ある本なのでまだまだ「アッ」と目の覚めるような記述があると思います。がんばって読んで、またご紹介します・・・と思ったが、平日でやられてもうあとどれだけ精神が続くことやら。○めるのが先か●●されるのが先か・・・。
朝三個・暮四個と朝四個・暮三個のどちらが有利か悩んでいるようです。