ずるずるとずり落ちてくるものはみなアワレなり。我に似て。
今日もツラい一日だったが、明日もツラいと予想される。ああ、どこかに出口はないものか。
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この隘路を脱け出してシアワセな人生になれたとします。
そういう前提で、ちょっとでかく出てみます。
人毎諛余腕中有鬼。
人つねに余の腕中に鬼有らんと諛う。
人人はみな、「おまえさんの腕の中には鬼神が宿っていなさるのか」とおだててくる。
鬼神が宿っているかと思うほどに腕が立つ、才能がある、というのである。
余謂、鬼自無端入吾腕中、吾腕中未嘗有鬼也。
余謂う、鬼みずから端無くも吾が腕中に入れり、吾が腕中にいまだかつて鬼有らざるなり、と。
わしは言ってやるのである。
「がっはっは。どういうわけか、鬼神が勝手にわしの腕の中に入り込んでおるのじゃわい。わしの腕の中に鬼神などいたことがないからなあ」
わっはっは、わしはえらいなあ。
人毎責余目中無人。
人つねに余の目中に人無しと責む。
人人はみな、「おまえさんは目に映るどこにも(自分と同等と認められる)人間なんていないと思っていなさるじゃろう」と文句を言うてくる。
がっはっは。
余謂、人自不屑入吾目中、吾目中未嘗無人也。
余謂う、人みずから吾が目中に入るを屑(いさぎよ)しとせず、吾が目中はいまだかつて人無きにあらざるなり、と。
わしは言ってやるのである。
「おいおい、おまえさんたちがわしの目の中に映ろうとしないのではないか。わしはわしの目に映る世界から、自分と同等の人間を排除したことなどないからなあ」
わっはっはっはっはっは・・・。
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というふうに強気に出たくても、三十年もコドモなのにツラい社会の風に吹かれてきたおいらである。もう肩をすくめ、人と目を合わさないように俯きながら語るしかないのである。
「酔古堂剣掃」巻十「豪」より。