「ずずー」。あんまり厳しいこと言っていると、洟垂れカッパに嗤われますぞ。
会社なんか行かずに家でごろごろしたいところだが。
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「先生、お教えください」
と弟子が云いましたので、コドモ賢者さまは
「なんでちゅかな。なんでも質問してくだちゃいよ」
とニコニコとお答えになりました。
「では質問です。
人之燕居、形体怠惰、心不慢、可否。
人の燕居するや、形体怠惰なれども心慢ならざれば、可なるや否や。
「ひとがゆっくりと寛いでいるとき、外形は怠惰にしているのですが心はそぞろでなく集中している、という状態なら、これはよろしいですか。ダメですか」
「なんでちゅと!」
コドモ賢者さまは厳しい顔つきでお答えになりました。
安有箕踞而心不慢者。
いずくんぞ箕踞して心慢ならざる者有らんや。
「いったいどこに、あぐらをかいているのに心はそぞろでなく集中している、なんて人がいるのでちゅか!」
「ははー」
質問した弟子は、コドモ賢者さまの剣幕に驚いて平伏しましたが、ゆるされません。
「むかし、高弟の呂与叔が真夏の六月にやってきたことがありまちた。
閑居中某嘗窺之、必見其儼然危坐。可謂敦篤矣。
閑居中、某かつてこれを窺うに、必ずその儼然として危坐するを見る。敦篤なりと謂いつべし。
特に用事の無い時にどうしているかとのぞき見してみたところ、いつもおごそかに正座している姿を見たものでちゅ。彼は篤実だというべきでちょうな。
彼のように、
学者須恭敬。
学者すべからく恭・敬なるべし。
学問をして道を志す者は、みんなうやうやしく、つつしみあるべきでちゅぞ。
但不可令拘迫、拘迫則難久。
ただ、拘迫せしむべからず、拘迫なれば久しくし難ければなり。
ただし、無理やりではだめでちゅ。無理やりだと長続きちないからね」
みなさんわかりまちたか。
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宋・朱晦庵等編「近思録」巻四より。程伊川先生のおことばです。程伊川先生はたいへん厳格な方であられたのでコワい。そこでコドモ賢者に変身していただいて登場いただきました。
清の張伯行の「集解」に、この項を解説していうに、
―――あぐらをかく、というのは全く怠惰な形である。一方、
外而厳粛整斉、則中自然寧一。
外にして厳粛整斉なれば、すなわち中は自然に寧一なり。
外面が厳粛で整っていれば、内面もおのずと安らかで集中してくるものだ。
外面が怠惰では内面は安らかにならず、集中もできないのだ。すなわち、「内外交養」、内面は敬に、外面は恭であれば、内面・外面がこもごもよい影響を与えあって、人として成長していけるのである。
・・・なのだそうです。
家にいてもごろごろできないのではツラいですね。