平成28年4月11日(月)  目次へ  前回に戻る

「ずずー」。あんまり厳しいこと言っていると、洟垂れカッパに嗤われますぞ。

会社なんか行かずに家でごろごろしたいところだが。

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「先生、お教えください」

と弟子が云いましたので、コドモ賢者さまは

「なんでちゅかな。なんでも質問してくだちゃいよ」

とニコニコとお答えになりました。

「では質問です。

人之燕居、形体怠惰、心不慢、可否。

人の燕居するや、形体怠惰なれども心慢ならざれば、可なるや否や。

「ひとがゆっくりと寛いでいるとき、外形は怠惰にしているのですが心はそぞろでなく集中している、という状態なら、これはよろしいですか。ダメですか」

「なんでちゅと!」

コドモ賢者さまは厳しい顔つきでお答えになりました。

安有箕踞而心不慢者。

いずくんぞ箕踞して心慢ならざる者有らんや。

「いったいどこに、あぐらをかいているのに心はそぞろでなく集中している、なんて人がいるのでちゅか!」

「ははー」

質問した弟子は、コドモ賢者さまの剣幕に驚いて平伏しましたが、ゆるされません。

「むかし、高弟の呂与叔が真夏の六月にやってきたことがありまちた。

閑居中某嘗窺之、必見其儼然危坐。可謂敦篤矣。

閑居中、某かつてこれを窺うに、必ずその儼然として危坐するを見る。敦篤なりと謂いつべし。

特に用事の無い時にどうしているかとのぞき見してみたところ、いつもおごそかに正座している姿を見たものでちゅ。彼は篤実だというべきでちょうな。

彼のように、

学者須恭敬。

学者すべからく恭・敬なるべし。

学問をして道を志す者は、みんなうやうやしく、つつしみあるべきでちゅぞ。

但不可令拘迫、拘迫則難久。

ただ、拘迫せしむべからず、拘迫なれば久しくし難ければなり。

ただし、無理やりではだめでちゅ。無理やりだと長続きちないからね」

みなさんわかりまちたか。

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宋・朱晦庵等編「近思録」巻四より。程伊川先生のおことばです。程伊川先生はたいへん厳格な方であられたのでコワい。そこでコドモ賢者に変身していただいて登場いただきました。

清の張伯行の「集解」に、この項を解説していうに、

―――あぐらをかく、というのは全く怠惰な形である。一方、

外而厳粛整斉、則中自然寧一。

外にして厳粛整斉なれば、すなわち中は自然に寧一なり。

外面が厳粛で整っていれば、内面もおのずと安らかで集中してくるものだ。

外面が怠惰では内面は安らかにならず、集中もできないのだ。すなわち、「内外交養」、内面は敬に、外面は恭であれば、内面・外面がこもごもよい影響を与えあって、人として成長していけるのである。

・・・なのだそうです。

家にいてもごろごろできないのではツラいですね。

 

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