楽しい休日のあとにはイヤな日々がある。この悪循環から脱け出すには・・・。
仕事のツラい分が食欲に代わるからでしょうか、なぜか体重増える。
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むかしむかしのことでございます。
柏矩(はくく)は周の国で老子に学んでいたが、ある日、意を決して、先生に申し上げた。
請之天下游。
請う、天下に之(ゆ)きて游せんことを。
「広い世の中に出て、旅してきたいと思うのでございまちゅが・・・。」
それを聞いて、老子は言った、
已矣。天下猶是也。
已(や)めよ。天下是(か)くのごときなり。
「やめとけ、やめとけ。どこへ行っても同じじゃよ」
と。
「いやいや、行きたいのでございまちゅ」
「いったいどこに行きたいのじゃ?」
始于斉。
斉より始めん。
「まずは斉の国に行ってみたいのでございまちゅ」
「それなら行ってきてみなさい」
というので、斉の国に来ました。
至斉、見辜人焉。
斉に至るや、人を辜するを見る。
斉の国に来ましたところ、市場で罪人を死刑するのを見た。
「うひゃあ」
柏矩は、はりつけにされて殺された罪人の死体を
推而強之、解朝服而幕之。
推してこれを強し、朝服を解きてこれを幕す。
はりつけ台から下ろして、死体の形を整えてやり、自分の礼服を脱いで、死体をくるんでやった。
そして、
号天而哭之、曰、子乎、子乎。天下有大災、子独先離之。
天に号(さけ)びてこれを哭し、曰く、「子や、子や。天下に大災あり、子ひとり先ずこれに離(かか)る」と。
天に向かって大声をあげて泣きながら、言った。
「おまえさんよ、おまえさん。世界に大いなる災いが起こるのは確実で、いずれみんな死んでしまうわけでちゅが、おまえさんはひとりで先にその災いに罹ってしまったんでちゅなあ」
と。
そこで斉のひとびとに説いて言うには―――、
古之君人者、以得為在民、以失為在己。以正為在民、以枉為在己。故一形有失其形者、退而自責。
いにしえの君人なるものは、得るを以て民に在りと為し、失うを以て己に在りと為す。正を以て民に在りと為し、枉を以て己に在りと為す。故に一たび形せられてその形を失う有れば、退きて自責す。
昔は、ひとの君たる者は、得ることができれば人民のおかげだとし、失うことがあれば自分のせいだとした。正義は人民に在りとし、間違いは自分にあるのだ、とした。だから、何かのせいで刑罰を与えられ、からだに罰としての傷をつけられると、朝廷から退いて自分を責めたのである。
今はそうではない。
匿為物而愚不識、大為難而罪不敢、重為任而罰不勝、遠其途而誅不至。
物を為すに匿(かく)して愚は識らず、難を為すに大なりとして罪敢えてせず、任を為すに重しとして罰に勝えず、その途を遠くなさしめて至らざるを誅す。
大切なものは隠して愚か者には見つからないようにしてしまい、難しいことを大げさに考えて罪に陥らないようにし、もらった任務は重いものだとして果たせないときの罰にたえられないのでこれを背負わず、人民たちに移動距離を長くさせておいて、来れなかったといっては処刑している。
さすれば、
民知力竭、則以偽継之、日出多偽、士民安取不偽。
民の知力竭きて偽を以てこれを継ぎ、日に多偽を出だして、士民いずくんぞ偽らざるを取らんや。
ひとびとの知恵と努力が尽きてしまい、その穴埋めに「偽りごと」が生み出されているのだ。毎日毎日多くの「偽りごと」が生み出されるので、知識人階級もどうして偽りを為さずにいられようか。
夫力不足則偽、知不足則欺、財不足則盗。盗窃之行、于誰責而可乎。
それ、力足らざればすなわち偽り、知足らざればすなわち欺き、財足らざればすなわち盗むなり。盗窃の行、誰においてか責めて可ならんや。
そもそも、力が足らなくなると偽りごとが出てくるのである。知恵が足らなくなると欺きがはじまるのである。財物が足らなくなると盗みが行われるのである。盗みが行われたからといって、それはいったい誰の責任なのであろうか。
―――そう言って、柏矩は天下を旅することを止めて、周の国に帰って行ったのであった。
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「荘子」則陽篇より。
土日の間もいつもいつも、心は「平日がやがてくる」という憂いから逃れることができないでいます。なんとかしなければ。できればはりつけになる前に。
笑ふときにも心に悲しみあり、歓楽の終(はて)に憂へあり。 (旧約・箴言)