まあお茶でも飲んで落ち着きなはれでぶー。ムリか。
今日は都内某所で曾国藩の「四耐四不訣」(耐冷、耐苦、耐煩、耐閑。不檄、不躁、不競、不随、以成事。)のことを聞いてきた。
佳いコトバである。
「なるほど勉強になった」
と納得したが、その後またまた大問題。二週間ぐらい前の大失敗がばれてきたぞー。パナマ文書がたいへんな問題になりつつありますが、こちらもたいへんなのである。
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夫世海也、身舟也、志柁也。
それ、世は海なり、身は舟なり、志は柁なり。
そもそもですな。
世の中が海だとすると、我が身は舟のようなものです。そして、我が志が舵です。
ところが、
世之溺人久矣。
世の人を溺れせしむこと久しきかな。
いにしえより、世の中という海は(舟のコントロールを失って海中に落ちた)ひとを溺れさせてしまうものなのである。
これは海を渡る途中で、舵である「志」を失ってしまうからである。すなわち
吾之志、所以度吾之身、不与風波滅没者也。
吾の志は吾の身を度し、風波の与(ため)に滅没せざる所以(ゆえん)なり。
我が志は、我が身をして海を渡らしめ、風や波のために沈没させてしまわないための手段なのだ。
操舟者、柁不使去手。故士莫要於持志。
舟を操る者、柁を手より去らしめず。故に、士は志を持するより要なる莫きなり。
舟をあやつるひとを見ていると、舵を手放すことは絶対にない。(手放したら舟のコントロールを失うからだ。)このことから、ちゃんとした人にとっては、志を保持することより大切なことはないのである。
手放してしまうと、
由良のとをわたる舟人かぢをたえ行く方も知らぬ恋の道かな 曾禰好忠
というやつになりますね。
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明・祝世禄「祝子小言」より。
なんといわれても大失敗はもはや取り返せないなあ。開きなおるしかないような気がするが、開き直れるか。