腐れ縁は断ち切りたいが、断ち切って痛いものは断ち切りたくないですね。
まだ平日が続く。心の健康的にマズい状況が続いております。自己破滅的な行動に出てしまうかも。(痛そうだから絶対的にしないとは思いますが)
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あるひと、
患婬不止。
婬の止まざるを患う。
エッチな心が無くならないのをたいへん悩んでいた。
そして、ついに
欲自除陰。
自ら陰を除かんと欲す。
「そうだ、ち○ぽこを断ち切ってちまいまちょー」
と思い立った。
「うひゃひゃー、かみそりをようく研いで、と」
と準備をはじめておりますと、ほとけさまがこれをお聞きになりまして、おっしゃった。
若断其陰、不如断心。
もしその陰を断たんも、心を断つにしかず。
「ち○ぽこを断ち切ってしまうよりも、心を断ち切ってしまった方がよいぞ」
「そうでちゅか」
心如功曹、功曹若止、従者都息。邪心不止、断陰何益。
心は功曹の如く、功曹もし止まば、従者すべて息(や)まん。邪心止まざれば、陰を断つも何の益かあらん。
「心は司令部のようなもので、司令部がストップをかければ、麾下の部隊はすべてストップするだろう。それと同様に、よこしまな心が残っていれば、ち○ぽこを断ち切っても何もいいことはないぞ」
「ええー! そうなんでちゅか」
そこでブッダは偈を説かれて、曰く、
欲生於汝意、意以思想生。 欲は汝の意より生じ、意は思想を以て生ず。
二心各寂静、非色亦非行。 二心おのおの寂静なれば、色にもあらずまた行にもあらざらん。
欲望はおまえの意識から生じるもの、意識は感覚から生ずるものである。
思う心(意識)と思う対象(感覚)、この二つの「心」がいずれも静まりかえってしまったら、存在も行為ももはやない。
つけくわえておっしゃった、
此偈是迦葉仏説。
この偈はこれ迦葉仏の説けるなり。
「この偈は、先代の迦葉仏さまがおっしゃっていたのだ」
と。
釈尊は七番目のブッダなんです。それ以前の六人のブッダ(過去六仏)の六番目が「迦葉仏」(かしょう・ぶつ)で、その方がおっしゃっていたのを、そのころはまだボサツとしてブッダのそばに在った釈尊が聞いていたのであるということだ。
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「仏説四十二章経」第三十一章。
ち○ぽこを断ち切っても心を断ち切らないと欲望が残ってしまうんですなあ。それなら断ち切らなくてもいいや。