つらくて無感情となりたるブタ。
明日から二月、ですが、また平日がはじまる。何かオモシロいことでも無いものでしょうか。
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東晋初期の丞相・王導が揚州刺史を兼務することになった。
東晋は、異民族に故地・洛陽を奪われた亡命国家であり、楊州の民心の掌握は喫緊の課題であったのである。
王導は赴任すると、ただちに大宴会を開き、うやうやしい態度で
賓客数百人併沾接。人人有説色。
賓客数百人、あわせて沾接す。人人、説色(えつしょく)有り。
有力者たち数百人を自ら親しく接待したので、ひとびとはみなうれしそうであった。
ところが、この日の客の中に
唯有臨海一客姓任及数胡人為未洽。
ただ、臨海の一客、姓・任なるもの及び数胡人のいまだ洽(あまね)からずと為す有り。
臨海郡の有力者で任という姓のひとと、彼の連れている数人の西方人たちだけは、自分たちが歓迎されていないのではないかと思っているふうであった。
臨海郡は現代の浙江・臨海で、当時から既に有数の貿易港でしたから、南シナ海をはるばる渡って来た「胡人」、インド系の人がいたのです。
王導はひととおり全員と話したあと、
還到過任辺。
また過ぎて任の辺に到る。
もう一度、任の近くに戻ってきた。
そして任をじろじろと見て、言った。
君出、臨海便無復人。
君出づれば、臨海すなわちまた人無からん。
「あなたがこちらにお見えになっていたとは。今、臨海郡にはもう大した人は誰も残っていないでしょう」
これを聞きまして、
任大喜説。
任、大いに喜説す。
任さんはこれを聞いて大いに喜び、にやけた。
それから
過胡人前、弾指云、蘭闍、蘭闍。
胡人前を過ぎりて指を弾いて云う、「蘭闍、蘭闍(らんじゃ、らんじゃ)」と。
インド人の前を通り過ぎるときに、指をぱちんと鳴らして、「ランジャ、ランジャ」と呼びかけた。
指を鳴らすのは当時流行思想となりつつあった仏教の僧侶たちが、喜んだときに行うジェスチャーで、また、「ランジャ」というのも僧侶たちが人を誉めるときに使う言葉だった。王導は当代一流の知識人でありましたから、僧侶たちとも付き合いがあったので、僧侶たちの風習を用いてインド系のひとたちに接してみたのです。
すると、コトバが通じたかどうかはわかりませんが、
群胡同笑、四坐併歓。
群胡同じく笑い、四坐あわせて歓べり。
インド人たちはみな笑い出し、これを見つめていた座中のひとたちみんな、大いに歓喜して、よろこびを尽くした。
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「世説新語」政事第三より。何がオモシロかったのでしょうか。ちなみに王導についてはこちらも参照→「王導吝嗇」