つくしやゼンマイも生えてくる。
春になったら、いつかおいらも行きたい、玉探し。
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北魏の李預、字は元ィというひとは、道武帝の謀臣・李先の曾孫で、孝文帝(471〜499)の時代に征西大将軍長史・馮翊太守に至ったが、職を辞して長安に住み、
毎羨古人餐玉之法。
つねに羨む、古人の餐玉の法を。
いつも、いにしえの人たちのように玉を食べる技術を身に着けたいものだ、と思っていた。
ある時、意を決して、
「ようし、行くか」
と
採訪藍田、躬往攻掘、得玉石大小百余。
藍田に採訪し、躬(み)ずから往きて攻掘して、玉石大小百余を得たり。
玉を産出するという藍田山に自ら出かけ、自分の手で採掘して、玉の原石を、大きいの小さいの合わせて百いくつかを入手した。
帰宅すると、
磨為玉屑、毎日服食。
磨きて玉屑と為し、毎日服食す。
この原石を磨いて砕き、玉の粉にして、毎日食べた。
よかったですね。
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「北魏書」巻三十三・李預伝より。
ただし玉屑を毎日食べて、その後このひとがどうなってしまったのか、史書をひっくり返してもわからないのが気になるところ。
野人曠蕩無靦顔、 野人、曠蕩(こうとう)として靦顔(てんがん)無く、
豈可久在王侯間。 あに久しく王侯の間に在るべけんや。
未試嚢中餐玉法、 いまだ嚢中の餐玉法を試みざるも、
明朝且入藍田山。 明朝まさに入らん、藍田山。
おいらのような田舎者、心はがさつで落ち着かず、人にお見せできる顔でも無いから、
どうして長いこと、王さまや侯爵さまたちのいる華やかな世界にいることができようか。
これまでは自分の知恵袋の中に入れたままで、玉を食う技術は試したことが無かったが、
明日の朝にはここを出て、藍田の山中に行ってしまおう。(そして玉を食って暮らそう。)
杜甫・「去矣行」(去り行くのうた)より。