こういうドウブツのいる、海の向こうまで行っていたのだが。
あたたかいところから桃郷に戻ってきた。寒いです。
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おおむかし、夸父(こほ)というひとがおりました。
このひと、
不量力、欲追日影、逐之于隅谷之際。
力を量らず、日影を追わんとして、これを隅谷の際に逐えり。
自分の能力を考えもせず、太陽を追いかけようとして、隅谷のあたりまで駆けて行った。
そのあたりで、のどが渇いてまいりました。
そこで、
渇欲得飲、赴飲河渭。
渇きて飲むを得んとして、河・渭に赴きて飲む。
のどの渇きをいやそうとして、黄河・渭水まで行って河水を飲もうとした。
おおむかしのですので、さすがのチャイナの川もまだ汚染されてはいませんでしたので、そこから飲んだ。
そして
なんと!
黄河の水、渭水の水を飲みほしてしまいおったんじゃ!
河渭不足、将走北飲大澤、未至、道渇而死。
河・渭足らず。まさに走りて北のかた、大澤に飲まんとするも、いまだ至らずして道に渇きて死せり。
黄河・渭水の水を飲みほしてしまってもまだ足らない。
今度は北の方、(当時黄河流域に存在した湿地帯である)大澤まで行ってそこの水を飲もうとしたが、その途中で、脱水症状を起こして死んでしまったんじゃ。
ちなみに、死ぬときに
棄其杖、尸膏肉所浸、生鄭林。鄭林彌広数千里焉。
その杖を棄て、尸膏肉の浸すところ、鄭林を生ず。鄭林なるものは広さ数千里に彌(わた)れり。
夸父が棄てた杖が根付いた上に、その死体から流れ出た肉のあぶらが養分になって、鄭の大森林地帯が出来たんじゃ。鄭の大森林地帯は数千平方キロの広さがあるのである。
おおむかしはチャイナにも森林があったんです。
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アメリカン・トール・ストーリーのように大ぼらでスカっとさわやか、なこの寓話は、「列子」湯問篇より。チャイナならコドモでも知っている有名なお話ですね。
わたしも太陽を追った夸父のように、すでに春が来ておるんではないかと春を逐うて南の方・八丈島まで行ってみた。確かにすでに来ておりました。しかもどうやら「あちら側」への扉が近くにあるらしく、仙人がうろうろし、しゅうしゅうと霊気も噴き出していた。
「ここはすばらしい。ずっとここで暮らして、「あちら側」への扉を探して「あちら側」に行ってしまおう!」
と思ったのですが、まだ修行が足らなかったみたいで、
「おまえはまだダメだ」
と追われて帰ってきてしまいました。
くちょー、残念。また来年になったら早々にチャレンジするか。あるいはほかの扉を探すか・・・。