好き放題食べることはゆるされない。
更新しても回線がつながらないので、これで数日更新していないような形となっているはずである。回線がつながらなくなってしまったのは、しごともなんとしても休みたいのであるから更新もそろそろ休みたい、とする無意識化の情念のせいであろうか。
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今日はニンゲンドックに行ったので、バリウム飲んで下剤もらってかなり排便したからでありましょう、腹が減っています。ああ、たくさん食いたい。
・・・と、そこで晋の陸機の詩的説教を聞くことにします。
臣聞、放身而居、体逸則安。肆口而食、属厭則充。
臣聞く、身を放ちて居るに、体逸なればすなわち安し。口を肆(ほしい)ままにして食らえば、属厭なればすなわち充(みた)さる、と。
わたしは聞いたことがある。
―――身体に好き勝手にさせておけば、からだに何の拘束もしないで(ゴロゴロして)いるようになるに決まっている。口が食べたいだけ食べさせておけば、腹いっぱいになって苦しくなって、やっと充足したと感じるに決まっている。
と。
好き勝手にしてはいけません。
だから、
王鮪登俎、不仮呑波之魚。蘭膏停室、不思銜龍之燭。
王鮪は俎に登せども、呑波の魚には仮(いた)らざるなり。蘭膏は室に停どむるも、銜龍の燭を思わざるなり。 ・・・@
ナゾナゾのようなコトバですが、これは何かの典故を踏まえているようです。
「王鮪」は「周礼」天官篇にいう、魚を献上する担当の役人は、
春、献王鮪。
春、王鮪を献ず。
春、しびまぐろのでかいのを献上しなければならぬ決まりである。
と。
王さまが季節のときにしか食べられないような、かなり贅沢で豪華で貴重な魚である。これは「俎に登らす」すなわち食卓に並べてもいい。しかし、「呑波の魚」はクジラのことで、クジラはあまりにも巨大で手に入らないから、それを食べようと望むのは欲をかきすぎである。(クジラは頭が良くて優しいから、ではありません。だいたい最近はマグロちゃんも心があるから食べてはいけないという運動があるそうですからもう区別なんか西洋人が食うか食わないかの違いだけなのかも知れませんが・・・)
「蘭膏」は蘭の花を練り込んだ膏で、これを燃やすとよい香りがするといい、「楚辞」招魂篇に
蘭膏明燭、 蘭膏の明燭は
華溶備些。 華溶して備われり。
蘭を練り込んだ油を明るく燃やすともしびは、花を溶かして作ったのさあ。
そんなすばらしい部屋に、たましいよ、早く帰っておいで―――と呼びかけており、やはり贅沢で好ましいものである。
この「蘭膏」は部屋に置いて、柄ってもよろしい。しかし、「銜龍の燭」はダメだ、というのです。
「銜える龍の燭」とは何ぞや。
話は長くなるのでございますが、まず、チャイナの古代には、「燭龍」あるいは「燭陰」ともいう神がいました。「山海経」(海外北経)によれば北方の地にある鐘山に棲む人面龍身の神で、この神が
視為昼、瞑為夜、吹為冬、呼為夏。
視れば昼と為り、瞑すれば夜と為り、吹けば冬と為り、呼すれば夏と為る。
目を開けば昼になり、閉じれば夜になる。息を吹きだせば(北風が吹いて)冬となり、息を吸い込めば(南風となって)夏になる。
という。
「楚辞」天問篇でも
日安不到、 日は安(いずく)んぞ到らざる、
燭龍何照。 燭龍は何をか照らす。
(古代のあるとき、)太陽はどうしてとどまったまま動こうとしなくなったのか。燭龍は(世界のさいはてで)いったい何を照らしていたのか。
と「燭龍」が出てくるのですが、その王逸の注に
天之西北、幽冥無日之國、有龍、銜燭而照。
天の西北は幽冥にして日無きの國なり、龍有りて燭を銜(くわ)えて照らす。
天上界の西北のはては、薄暗くて太陽の光の届かない地である。そこには龍がいて燭を咥えており、その光でわずかに明るいのである。
とあって、結局、「燭龍」が「燭を銜える龍」である、ということがわかります。
ということで、「銜龍之燭」は、「燭龍が銜えているともしび」のことで、天上界の一部にしかない超絶的に貴重なものである、ということなのであります。(「山海経」の神話と「楚辞」の神話はおそらく関係無いのでしょうが、後世の解釈家たちが「同じもの」だとして注解したのでちょっとわかりにくくなっているようです。)
以上から、@は
シビマグロは贅沢とはいえ食卓に上らせてもいいが、クジラのような貴重なものまで食べようと思ってはならない。
蘭の花を練り込んだ油を燃やして部屋を明るくしてもいいが、龍にともしびを銜えてもらおうなどと思ってはならない。
ということで、欲望はほどほどにせねばならぬ、という意味でした。
結論として、楽になりたい、飯食いたい、という欲望はある程度満たしていいのだが、タガははめねばならない、というのである。
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うーん。精神力の強い人はタガがはめられるのかも知れませんが、われらはなあ・・・。楽したいし、かっぱえびせんとか止まらないなあ。