もう限界。そろそろ行くか・・・。
どうもウツが出てきたみたいでやる気ありません。今日は治療のためにこちらに大声出しに行ってきたが、果たして効果があったか否か。
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宋の時代のことでございます。
みやこ開封に、鄭某という道士がおられた。
年老いて貧しく、つねに
持一銅鈴、終日揺鳴、丐銭為食。
一銅鈴を持して終日揺鳴し、銭を丐(こ)い食を為す。
銅製の鈴を一個持っていて、一日中これを振り鳴らしながら銭を乞う乞食暮らしで何とか生きていた。
ただし、
用余則分恵貧者、号為鄭揺鈴。
用余すなわち貧者に分恵し、号して「鄭揺鈴」と為す。
自分が食って余った分はそのまま貧乏人に分けて施してやったので、ひとびとは「鈴鳴らしの鄭さま」と呼んで敬っていた。
宣和年間(1119〜1125)、このひとはふらりと江南にやってきた。(今思えば、金の侵入を予測していたのかも知れない。)
江南の地でも同様に鈴を振って乞食をして歩き、夜は木賃宿に泊まる日々であったが、ある日、
謂主人曰、吾将死。願以随身衣物、悉ゥ棺中而焚之。
主人に謂いて曰く、「吾まさに死なんとす。願わくば随身の衣物を以て、ことごとく棺中にゥ(お)きてこれを焚け」と。
宿の主人に言うには、
「わしはそろそろ死ぬことにした。持ち物といえば着ている服といつも身につけている物だけであるが、これらは全部、いっしょくたに棺の中に入れて焼いてくれ」
と。
そして、その晩死んだ。
主人は無口で貧しい男であったが鄭道士を敬っていたので、
如其言、舁棺出城。
その言の如く、棺を舁きて城を出づ。
その遺言どおりに、棺になきがらと服と持ち物を入れて、これを数人に担がせて、郊外に出た。
郊外の野で焼いてやろうと考えたのである。
ところが、道の途中で、
挙者覚漸軽。
挙者、漸く軽きを覚ゆ。
棺を担いでいる人夫が言うには、「だんな、この棺、だんだん軽くなってきましたぜ」と。
「なに?」
と問うたとき、宿の主人の耳は、
復聞鈴声、如在数十歩外。
また鈴声を、数十歩外に在るが如く聞く。
例の鈴の音を、数十歩ぐらい向こうに聞いた。
「この音は・・・」
俄而鈴声漸遠。
にわかにして鈴声ようやく遠し。
すぐに鈴の音は遠ざかって行った。
郊外の焼き場まで着いた時、人夫たちはさらに棺が軽くなった、というし、主人もまた「おそらくは・・・」と確信するところがあったので、
啓蓋視之。
蓋を啓きてこれを視る。
棺のふたを開いて、中を確かめてみた。
すると、
「やはりなあ・・・」
惟一竹杖而已。
ただ一竹杖のあるのみなりき。
一本の竹の杖が入っているだけであった。
鄭道士は、死んだふりをして仙人に変化し、去って行ったのである。
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宋・郭彖「睽車志」巻二より。
そうか、この方法があったか。死んだふりをしてシゴトからも家庭からも社会からも逃げだしてしまうのだ。ようし、真似してみよう、と。