毎日不安だなあ。
昨日から平日の不安と恐怖によって幻想的になっております。
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今日も幻想的なやつ。有名な詩です。
雲母屏風燭影深、 雲母(うんも)の屏風(へいふう)に燭影深く、
長河漸落暁星沈。 長河ようやく落ちて暁星沈む。
ガラスの屏風は半透明なので、向こう側のろうそくの光がはっきりと映っている。
時間は夜明け前、銀河がゆっくりと水平線に落ちて行き、明けの明星も沈もうとしている。
ガラスの屏風の向こう側のひと(もちろん高貴な女性)はこんな明け方まで、眠れずに起きているらしい。その悩ましいためいきが聞こえる。
そのひとは月の女神である常娥(じょうが)さまである。
常娥応悔偸霊薬、 常娥はまさに悔むべし、霊薬を偸みしことを。
碧海青天夜夜心。 碧海青天、夜々の心。
常娥さまは何故に眠れないのだろう。
常娥さまはきっと、不思議なクスリを盗んだことを後悔しておられるのだろう。
その時からずっと、碧い海のような青い宇宙の中、毎晩毎晩たった一人でいなければならないのだから。
以上で、終わり。
はあ?
「霊薬」とは?
なぜそれを女神さまが盗んで、そのことを後悔する?
このままではワケがわかりません。
ワケがわかろうとしたら、「淮南子」覧瞑訓を読まなければならない。
そこで書架から「淮南子」を探してまいりました。
「よいちょ。これでちゅね・・・ん? んん? ええー! なんでちゅと!」
そこにはこうあった。(「常娥」さまは「姮娥」(コウガ)さまとも表記される)
羿請不死之薬於西王母。
羿、不死の薬を西王母に請う。
英雄の羿(ゲイ)は、西のはての地に住む女神・西王母さまに気に入られた。そこで西王母さまから、「不死の薬」をいただいてきた。
「羿」(ゲイ)は古代の英雄で、弓の名手であったり、聖なる王であったりしますが、太陽と縁が深くておそらく古代の太陽神の一人であったのだろうと思われます。この話も太陽が西に没してまた東に生まれ変わることの神話的表現が変形したものなのだろうと思います。
すると、
姮娥竊之奔月宮。
姮娥これを竊(ぬす)みて月宮に奔る。
姮娥さまがこの薬を盗んで、月の宮に逃げ去ってしまったのだ。
ところで、
姮娥羿妻也。
姮娥なるものは羿の妻なり。
姮娥さま、というのは羿のおくさんなんです。
そのひとが
服薬得仙、奔入月中為月精。
服薬して仙を得、月中に奔入して月精と為れり。
不死の薬を盗んで飲んだので、仙人になりまして、そのまま月の中に飛んで逃げた(「娥」は「蛾」でもあるのだ)。そしてその場所で、彼女は月の女神となっているのである。
「淮南子」のお話はここまで。古代、太陽神と月の女神の関係を何か説明する神話があって、その記憶の残りかすを止どめた伝説なのでしょう。
姮娥さまの行動の裏には、
―――なにさ、西王母さまから霊薬をいただいた、って、ニヤついちゃってさ。
みたいな嫉妬もあったりしたのかもしれません。
さて、詩人は、ここからさらに一ひねりして、その常娥さま、夫の霊薬を盗んで月の女神にまでなったわけですが、このため夫とは永久に会えなくなってしまった。
―――どうしてあの人のもとを離れちまったんだろうね。お互い好きあって一緒になっていたのにね・・・。
と、毎晩毎晩、自分の意志で別れた男のことを思って、ためいきをついている、ということにした、というのがこの詩の造りつけなんです。
よくできてますね。
なお、詩の背景にあるかも知れない具体的な事実については何も記述がありませんので、この詩を読んだ後世の読者は、
「これは詩人を棄てて高貴のひとのところに走った女のことを思って作ったのではないか?」
と想像しまして、そのひとが誰であったとか無かったとか、ああたらこうたら論じている。
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唐・李商隠「常娥」詩より。
李商隠はチャイナ歴代屈指の恋愛詩の名手ですが、ホントにゲンダイ的な意味で詩作しているようにも見えるし、宴会などの場で「ぐへぐへ」と笑いながら作っているような気もしますし、妓女に歌わせて名を挙げていただけなのかも知れないし、その作詩状況はよくわかりません。
ゲンダイではしばらく前に「イイチコ」のポスターが「碧海青天夜夜心」をそのままコピーに使ってました。