暑いけど、夏の北海道行きを断念。
何にもしたくない、というかやれない。脅されたらするカモ、ぐらいの精神力。まだ水曜日か・・・。
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これは有名な場面です。
魯の國の都で、最近売り出しの孔丘という思想家のウワサを聞いた子路は、
「古代の聖人を尊敬し、仁とか礼とか言っておるということだ。わしより九歳ぐらい年上らしいが、どれ、ちょっと脅かしてきてやるか」
と考えついて、
戎服見於孔子。
戎服して孔子に見(まみ)ゆ。
戦闘用の服を着て、孔子に面会した。
そして、突然、
抜剣而舞之。
剣を抜きてこれに舞う。
するりと剣を抜くと、その抜き身の剣を操りながら、ひとさし舞った。
時には孔子の方に刃を向けたり、あるいはじっと孔子を見て剣を構えたり、という脅迫的なポーズもとった。
ひとさし舞って、十分に威しつけたと思われたので、言うた。
古之君子、固以剣自衛乎。
古えの君子、もとより剣を以て自ら衛るか。
「あなたが尊敬するという古代の賢者たちもまた、剣によって自らの身を護ったのではありませんかな?」
孔子は自若として少しく微笑みまで交えて、言うた、
古之君子、忠以為質、仁以為衛、不出環堵之室、而知千里之外。有不善則以忠化之、侵暴則以仁固之。何持剣乎。
いにしえの君子は忠以て質と為し、仁以て衛りと為し、環堵の室を出でずして千里の外を知る。不善有れば忠を以てこれを化し、侵暴あれば仁を以てこれを固うすなり。何ぞ剣を持せんや。
「古代の賢者たちは、まごころをその本質とし、思いやりによって護りとしたのです。だから、土壁をめぐらせた粗末な部屋に暮らしながら、遠い世界の動向も理解することができていた。善ならざるものがあれば、まごころによってこれを変化させ、侵略者があれば思いやりによってこれを防いだのだ。どうして一本の剣などに頼ることがありましたでしょうか」
「ぶひー!」
子路はこの語に感動したのである。
一本の剣で守れるのは自分だけで、より多くのひとを護るにはどうすればいいか―――それが彼の根源的な問題意識だったからだ。
子路は剣を鞘に収めると、かたちを改めて言うた、
由、乃今聞此言。請、攝齊以受教。
由、いましこの言を聞けり。請う、齊(し)を攝(おさ)めて以て教えを受けん。
「由」(ゆう)は子路の実名。「齊」(し)は、ボトムスである裳(スカート)の縫い目をいい、いにしえは賢者の前に出るときには、この「齊」のところを押さえて部屋に入るのが仕来たりであったという。
「この由は、はじめてそのようなお言葉を聞きました。どうぞ、裳の縫い目を押さえて面会し、教えを受けさせていただけませんでしょうか」
こうして、子路は孔子の門弟となったのでございます。
よかったでちゅねー。
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「孔子家語」巻二・好生第十より。
「何だ、これ。この話、何かの役に立つの? ハウ・ツーにはなっていないみたいだし、ここから何を学べばいいの?」
と不満に方は、この場面が中島敦先生の「弟子」で感動的に記述されていますので、そちらをお読みください。
なお私見ながら、孔子は、もしかして、というか、おそらく、個別自衛権より集団自衛権の方が役に立つ、という趣旨のことを言っているんではないかと思います。「一万人の学者」の署名入りで否定されるカモ?ですが・・・。