読書して立派なジンブツになるでワン。
やっと火曜日終わり。
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○胸中如大空、洞然瑩徹、無一物不可容。
胸中、大空の如く、洞然として瑩徹し、一物も容るるべき無し。
胸の中は大空のようにすっかり空っぽで透き通り、ナニモノも入りこむことはできない。
ぐらい、おいらの心は澄みきっているのだ。(「大空」が「大きな空(スカイ)」なのか「大なる空(くう)」なのかちょっと悩ましいですが、ここでは「如」と言っているのでゲンダイ語の「大空」と同じに解した)
と言うのは漢文なのでまだ大げさには見えないのですが、その後は仮名混じりで
○天下ハ植木枝盛ノ糞也。
と来た。
続けて、(以下、原文カタカナ混じりだと書きづらいのでひらがな混じりに改めました)
植木枝盛一たび糞を放てば化して水となり、化して土となり、化して米となり、化して麥となり、化して金となり、化して銀となり、天下の人、食焉(くらい)て美(うま)しと為し、飲焉て甘しと為し、腹を肥やし、身を養ひ、以て学を修め、業を務め、家を斉へ國を治め文明に進み、開化に趨(おもむ)き、然る後天下光輝あり。
故に曰く、天下ハ植木枝盛ノ糞也と。
植木枝盛先生は、これを明治十四年(1881)三月六日に浪花の旅館で書いたそうです。
国語とか日本史で習ったときは自由民権派の立派な人だと習ったので、こういう人だとは思わなかったが、こういう人だったんですね。
同月十二日、
○以声知鳥、以言知人。
声を以て鳥を知り、言を以て人を知る。
鳴き声を聞けば鳥の種類がわかる。言うことを聞けばその人がどんなひとか理解できる。
これは、
推知の観察なり。瓦徳氏蒸気の漲力を土瓶の蓋の上下するより覚り、孔子雪を見てその分子の六花に結晶するを知れるが如き、これは実験の観察なり。
推知と実験は重要である。ちなみに「瓦徳氏」はおそらく「ワットさん」のこと。雪の結晶が六花であることを発見して記述しているのは孔子ではなく朱子のはず。
同月二十八日、
○植木枝盛ノ前ニ植木枝盛ナク植木枝盛ノ後ニ植木枝盛ナシ、植木枝盛ハ古今ノ独歩ナル哉。
またこんなことを書いておりますね。飲んでいるのか、シラフで何らかの病名がつくべき状態なのか・・・。
なお、翌四月からは「菜根譚」を読んでいるようです。
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高知・植木枝盛「無天雑録」より。「植木枝盛の糞」の中で今日も苦しんだ。まだ今週三日もある。早く脱出したいワン。