平成27年7月11日(土)  目次へ  前回に戻る

「はやくお休みなさいな。ダメ人間さんは。おほほほ」と言う声が聞こえる・・・。

今日は暑かった。暑くても休日は積極的に活動。うっしっし。

しかし平日のしごとではタコツボの中で怯えている状態。来週も同様だろう。ほんとに情けない。

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北宋のはじめころ、國子博士(国立大学教授)であった李余慶は常州の知事に赴任したが、

強於政事、果於去悪、凶人悪吏畏之如神。

政事に強(ごう)にして悪を去るに果(か)、凶人・悪吏これを畏るること神の如し。

部内の政治について剛腕を発揮し、悪事をにくんでこれを除去することに果断であったので、州内の悪い有力者や官吏どもは、彼のことを神さまか何かではないかと恐れていた。

その余慶だが、任期の終わりごろに、かなり重い病気になった。おそらく「瘧」(マラリアのような熱病)と思われる。

ところで、

州医博士多過悪、常懼為余慶所発。

州の医博士、過悪多く、常に余慶の発するところとなるを懼る。

この州の医療の責任者である医博士は、これまでずいぶん悪どいことをしてきていたので、いつかは余慶に気づかれるのではないかとびくびくしていた。

余慶が病気だと聞いたこの医博士は、

「ほほう、知事どのがのう・・・」

と頷きまして、ただちに参上し、

進利薬。

利薬を進む。

「よいクスリがございます」

と調合した薬を献上した。

余慶、これを服用したところ、

洞泄不已、勢已危。

洞泄已まず、勢すでに危となれり。

嘔吐と下痢が激しく続き、危篤状態に陥った。

危篤状態で余慶は

「なるほどなあ・・・、医博士にはわしに気づかれたくないことがあったのかな・・・」

と察知し、

使人扶舁坐聴事、召医博士。

人をして聴事に坐するを扶け舁(よ)せしめ、医博士を召す。

人に助けかついでもらって裁判の場に座らせてもらい、そこに医博士を呼び寄せた。

厳しく尋問したところ、ついに過去の多くの悪事を自白した。

「お上をないがしろにし、人民を苦しめてきた罪、どう考えても死罪にあたいする・・・」

しかし、死罪に処するためには中央の刑部の了解を得る必要があるが、

「自分の命はそれを待つまでもつまい・・・」

そこで余慶は、左右に命じて、

杖殺之。

これを仗殺せり。

医博士を杖で殴り殺させた。

取り調べの最中に厳しくやり過ぎたので誤まって死なせてしまった、という形にして、自ら始末書を書いてこれを刑部に届けさせることとし、悪人にしかるべき罰を与えたのである。

然後帰臥、未及席而死。

しかる後に帰臥するに、いまだ席に及ばずして死せり。

それらを調えてから自室に戻って再び病床に臥したが、帰りついて布団に入るか入らないか、のうちに死んでしまったのであった。

役所に近い横山の地に葬られたが、

人至今畏之、過墓者皆下。

人、今に至るもこれを畏れ、墓を過ぎる者はみな下る。

ゲンダイ(北宋末)に至っても、ひとびとは彼の霊威を畏れ、墓の前を通り過ぎるひとは必ず馬を下りて敬意を表して通り過ぎるのである。

また、

有病瘧者、取墓土著牀席間。輙差。

瘧を病む者有らば、墓土を取りて牀席の間に著く。すなわち差(い)ゆるなり。

熱病に罹ると、余慶の墓の土を取ってきて、ベッドと敷布団の間に置く。そうすると治るのである。

その敬慕し恐れ憚ること、今もかくのごときである。

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宋・沈括「夢溪筆談」より。

このひとのツメのアカでも煎じて飲むといいカモ知れません。墓の土でもいいカモ。・・・でもまあムリか。ムリです。もうそろそろちょっと休ませた方がいい精神状態だと思いますよ。

 

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