「はやくこちらに来るボックル。決断したら来週にでも・・・」と言う声が聞こえる・・・。
一週間終わった。「必死」(必ず死ぬ)と思ってタコツボに入ってじっとしているような日々であった。
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呉起(ご・き)先生がおっしゃった。
凡兵戦之場、止屍之地。必死則生、幸生則死。
およそ兵戦の場は屍を止どむるの地なり。必ず死すとせば生き、生を幸(ねが)わば死す。
だいたいにおいて、戦場というのはシカバネをさらす場所である。その場では、「絶対死んじゃうんだ」と思っていれば生き抜く可能性が高まるが、「何とか生き延びたい」と考えて行動すれば生き抜けない可能性が高まるものなのである。
其れゆえに有能な将は、
如坐漏船之中、伏焼屋之下。使智者不及謀、勇者不及怒、受敵可也。
漏船の中に坐し、焼屋の下に伏すが如し。智者をして謀(はか)りに及ばず、勇者をして怒るに及ばざらしめば、敵を受くるに可なり。
浸水しつつある船の中に座っているとか、燃えている家の中で寝ているとかいう(「必ず死ぬ」であろう)状態に自らを追い込め(、兵士らにも追い込まれていると感じさせ)るものなのである。そうすることによって(こちらは「必死」の状態となり)、敵に知恵者がいてもこちらをたばかることができず、敵に勇者がいてもこちらが怯むような攻勢に出ることができないようにすることができるので、かくてはじめて敵と戦ってよい状態になるのだ。
だから言う、
用兵之害、猶予最大、三軍之災、生於狐疑。
用兵の害は「猶予」最も大にして、三軍の災いは「狐疑」に生ず、と。
軍を用いるときの最大の害悪は「迷って決断できないこと」であり、軍に対する災害が起こるのは「疑って迷うこと」によるのだ。
サルの一種に「猶」というのがいて、非常に先見の明あるドウブツなのであるが、いろんなことを予測し過ぎて決断できずに人に捕まるのだそうで、「猶予」とは「猶が予測しすぎて決断できない」ことなんだそうです。また、「狐」は智慧のあるドウブツであるが心配性に過ぎ、いろんなことを疑い迷って行動に移すことができないのだそうで、「狐疑」とは「狐が疑い迷って行動できない」ことなんだそうである。
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「呉子」治兵第三より。
「必死」(必ず死ぬ)と思って「だったらムダなことせずにサボっていよう」と思って、タコツボの中で生きていました。コワかった。しかし来週は絶対に絶対に生き抜くのムリなように思われます。いまから予言しておきます。
ちなみに呉起は戦国・衛のひと、孔子の弟子・曾子の弟子、といいますので、儒家系のひとである。はじめ魯に仕えた。斉が魯を攻めたとき、その妻が斉ひとであったので疑われたが、この妻を殺して将軍の地位を求め、ついに斉を破って魯に大功あった。しかるに戦後、その残忍酷薄なるを批難せられて魯を逐われ、魏の文侯・武侯に仕えて、秦を撃破して重んぜられる。後、魏を追われ、楚に仕えて富国強兵に資したが既得権益を持つ貴族集団の容れるところとならず、内乱に巻き込まれて殺された。
太史公(司馬遷)曰く、
呉起説武侯、以形勢不如徳。然行之於楚、以刻暴少恩忘其軀。悲夫。
呉起、武侯に説くに、形勢は徳に如かざるを以てす。しかるにこれを楚に行うに、刻暴少恩を以てしてその軀を忘る。悲しいかな。
呉起は魏の武侯に、「地形や戦力比よりも、徳によって民をまとめ国論を統一する方が重要である」と説明したという。ところが、自らが楚の國で軍政を掌ったときには、国民を酷薄・乱暴に取扱い、施しを行わなかった。このために自分の身命を護ることができなかったのである。悲しいことではないか。
と。(「史記」孫子呉起列伝)
いろいろ有名なエピソードもある人でございますので、詳しくはまた別途、夜話会のときにでもご紹介いたしましょうのう。
「孫子」と並称される兵書の名著「呉子」は、その弟子たちがまとめたものではいかと推測されますが、特に上記の「用兵の害は「猶予」最も大にして、三軍の災いは「狐疑」に生ず」の語は兵家の金言として名高い。そうです。