おいらたちは日蔭のイキモノなのでちゅる。
今日は雨降りでした。明日は6月6日、その前日は雨ザアザアで当然であろう。
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晴れた日ばかりではいかんのです。
あるとき、孔子の弟子の子夏が孔子に問いましたのじゃ。
顔回之為人奚若。
顔回のひととなりやいかん。
兄弟子の顔回先輩のことを、先生はどんなふうに評価しておられますか。
孔子答えて曰く、
回之仁賢于丘也。
回の仁は丘に賢(まさ)れり。
顔回の人間性はこのわし(「丘」は孔子の名前)よりもすぐれている。
「へー。では子貢先輩のことはどんなふうに評価しておられますか」
曰く、
賜之弁賢于丘也。
賜(し)の弁や丘に賢れり。
端木賜(たんぼく・し=子貢の姓名)の弁舌はこのわしよりもすぐれている。
「へー、では子路先輩のことはどんなふうに評価しておられますか」
曰く、
由之勇賢于丘也。
由(ゆう)の勇は丘に賢れり。
仲由(子路の姓名)の勇気はこのわしよりもすぐれている。
「へー、ではわたしの同輩である子張のことはどんなふうに評価しておられますか」
曰く、
師之壮賢于丘也。
師の荘なるは丘に賢れり。
顓孫師(せんそん・し=子張の姓名)の堂堂たる姿・振舞いはこのわしよりもすぐれている。
「どひゃー、子張さえ先生よりすぐれているのですか」
そこで
子夏避席而問。
子夏、席を避けて問う。
子夏は座布団から降りて、居住まいを正して、質問した。
然則四子者何為事夫子。
しかればすなわち四子なるものは何すれぞ夫子に事(つか)うる。
「ということですと、どうしてこの四人は先生を師匠としてお仕えしているのでしょうか」
孔子はおっしゃった。
居。吾語爾。
居れ。われ、爾に語らん。
「すわりなおしなさい。わしはお前に教えてやろう」
「ははー」
夫回能仁而不能反、賜能弁而不能訥、由能勇而不能怯、師能壮而不能同。
それ、回はよく仁なるも反するあたわず、賜はよく弁なるも訥なるあたわず、由はよく勇なるも怯なるあたわず、師はよく荘なるも同ずるあたわず。
「ああ、顔回はすぐれた人間性を持っているが正道に反したことができない。子貢はすぐれた弁舌をふるうが口下手でいることができない。子路はすぐれて勇気があるが下手(したて)に出ることができない。子張はすぐれて堂堂としているが人と同じ目線になることができない。
ところが、わしは正道に反したこともでき、口下手でいることもでき、したてに出ることもでき、人と同じ目線になることができるのじゃ。
兼四子之有以易吾、吾弗許也。此其所以事吾而不貮也。
四子の有を兼ねて以て吾に易(か)えんとするも、吾は許さざるなり。これ、その吾に事えて貮(たが)わざる所以なり。
その四人のすぐれたところをすべて併せ持って、わしの能力と取り換えたい、というひとがいたとしても、わしはお断りするであろう。ここのところが、四人が(わしよりすぐれたところを持っているのに)わしを師匠として、一心に尊敬してくれる理由なのである」
「なるほどにござりまする」
子夏はそのコトバを忘れないように、帯に書きつけた、という。
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「列子」仲尼篇より。
仁・弁・勇・荘と同じぐらい、反・訥・怯・同は重要なのです。雨降りは晴れた日と同じぐらい大切なんです。わたしが休んでいる日の方がシゴトしている日よりも、もしかしたら社会のためにはいいのかも知れないんです。若いひとたちに譲って、週休が4日ぐらい欲しいところ。