平成27年6月6日(土)  目次へ  前回に戻る

炭水化物を中心とした健康的なメシを食っているのに。

身体的事情により食べるもの減らしたら腹減った。

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漢の時代、斉地方出身の主父偃(しゅほ・えん)というひとははじめ縦横家をまなび、次いで春秋の学を修めたのであったが、功名富貴を得んものと、匈奴征伐で勲功のあった将軍・衛青を通じて上奏書を献じ、武帝に認められた。

その後、恩人である衛青の失脚にも一枚噛むなど、あらゆる手を使って権力の階段を昇りつめ、宰相の地位にまで就いたのである。

あるひと、諌めて曰く、

太横也。

はなはだ横なり。

「たいへん横しまでやり過ぎなのではありませんか?」

すると主父偃、ふふんと鼻で笑うて答えて曰く、

臣結髪遊学四十余年、身不得遂、親不以為子、昆弟不収、賓客棄我。我阨日久矣。

臣、結髪して遊学すること四十余年、身遂ぐるを得ず、親は以て子と為さず、昆弟は収めず、賓客は我を棄つ。われ、阨日久しきなり。

「わしは、髪を結んで大人の仲間入りをして以来、あちらへこちらへと勉学に出かけ、四十数年間は鳴かず飛ばずであった。

その間、親はわしを子と認めず、弟たちは相手にしてくれず、立派な方々はわしとまともに付き合ってはくれなかったのだ。わしは苦労した期間が長かったのである」

だから権力を握るのに大急ぎなのだ、というのである。

そして、さらに目をギラギラさせて、諫言してくれたひとを睨み据え、

「わしはこう聞いている。

丈夫生不五鼎食、死即五鼎烹耳。

丈夫生じて五鼎の食をせずんば、死して即ち五鼎に烹らるのみ、と」

おとこというものは、毎食五つのナベで煮た料理を食うぐらいの富貴の地位に就くのでなければ、ただちに五つのナベで煮て殺されてしまうがいい、と」

と言ったのであった。

こうなっては諫言した者も押し黙るしかなかった。

・・・結局、失脚して一族誅滅されるんですけど、五鼎の食をせずんば、五鼎に烹られんのみ。というのは名言として後世に伝えられることになりました。

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「史記」巻112「主父偃伝」より。

毎日ナベ料理を五つ食うのが、おとこの目標なのだ。血圧や通風などでこれを断念するぐらいなら、ナベ茹での刑になった方がマシなのだ。よし、明日から食餌制限を緩和することとします。みなさんも見習って。

 

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