ブタを大切に。
しごとツラい上に体重がどんどん増えてきた。夏場は減る、と予想されていたのに・・・。なにからなにまで行き詰まってまいりました。
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要らんことでも勉強する。はるか紀元前の時代―――
士の昏禮(結婚の「しきたり」)によれば、
凡行事必用昏マ。
およそ事を行うは必ず昏・マ(こん・きん)を用ゆ。
行事は必ず黄昏どきか夜明けどきに行うこと。
とあります。嫁を連れに行く使者を立てるのは「マ」(夜明け時)で、新妻を家に迎えるのは「昏」(黄昏どき)でなければならない。だから嫁取りの行事を「婚礼」というのであるそうです。
使者を出すときも新妻を迎えるときもは先祖代々の廟堂にあいさつしてから行くこと。
辞無不腆、無辱。
辞に「不腆」(ふてん)無く、「辱」無かれ。
「不腆」と「辱」という言葉を使ってはならない。
いわゆる忌詞の規定ですね。「腆」(テン)は「豊富」の意、「不腆」は「豊富でない」「痩せてガリガリ」というようなコトバ、「辱」は「汚れ」の意。「豊かではない」「汚れている」という言葉は使うな、というのです。
摯不用死。
摯(し)には死するを用いず。
「摯」は「手土産」。士の婚礼のときの「摯」は鳥(雁)とされていますので、ここでは「雁」。
手土産の雁は死んでいないのを使うこと。
皮帛必可制。
皮帛は必ず制すべし。
婚礼の挨拶には、「なめした皮」と「束ねた布」も持って行くことになっていますが、その際の
なめした皮と束ねた布は、必ずこれから切ったり縫ったりして製品にする原料となるもの、を持っていくこと。
けだし、これから製品になるものは、新妻が新しい家に馴れるよう自分を換えていくこと、を象徴するのだそうです。
宴席の料理について、
腊必用鮮。
腊は必ず鮮を用ゆ。
「腊」(セキ)は乾し肉。
乾し肉を用意する際には、新鮮なものである必要がある。
乾し肉なら新鮮でも新鮮でなくてもええやん、と言いたくなりますが、これは夫婦が「日に新た」、毎日毎日新鮮はキモチで愛し合うこと、に象るので、新しいものでなければならぬ。
魚用鮒。
魚は鮒(ふ)を用ゆ。
「鮒」(ふ)は「フナ」ではないかも知れませんが、めんどくさいのでここでは「フナ」と解しておきます。
魚料理を用意する際には、必ずフナを用意すること。
なぜかというに「鮒」(ふ)は、夫婦がお互いに「依附」(いふ)、くっついてよりそいあうこと、という意味があるのである。
必骰全。
必ず、骰(さい)は全たれ。
「骰」(さい)はここではブタの料理です。それを「全」にしろ、というのは、「骨を折ってしまうな」ということ。実は古代のブタ料理は、婚礼に用いるもの以外は「折俎」(せっそ)といいまして、関節を外し骨を折って、食べやすいようにすることになっていました。婚礼の際にだけは夫婦が節を全うし欠けること無きよう、骨を折らない「全俎」にしろ、ということなんです。
ブタ料理は「折俎」方式ではなく、骨を折っておかないように。
いろいろ難しいですね。
まあこれぐらい縁起を担ぎたくなるぐらい、古代でもうまくいかないもの、だったのでしょう。
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「儀礼」士昏禮第二より。唐・賈公彦「儀礼義疏」等の解釈を参照しました。
若いころからこんなことばかりオモシロくて勉強してきました。しかし「龍を屠るの技」と同じく、ゲンダイにおいては何の役にも立たず。シゴトの役にも立たないので、このところまないたの上のブタのようにやられております。「折俎」になるか。たとえ「全俎」でも料理されちゃうよ。(T_T)