「オトナの世界はなかなか厳しいのでモンキ」
平日でした。社会生活に復帰を試みた、が・・・。
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秦檜といえば、南宋の初期に宰相となり、金との和平を唱導して、主戦論者たちを次々と罠にはめて排斥した、チャイナ史上屈指の奸臣・売国奴として、死後は現代に至るまで批判され続けていることで有名な方でございますが、生きておられるころは誰も批判などしなかったのでございます。
宋帝国は宰相複数制を採っておりましたから、当時つねに宰相(「参知政事」)は二人以上おられました。
嘗病告一二日、執政独対。
かつて病告すること一二日、執政独対す。
あるとき、秦檜さまが病気で届け出て一両日休まれたことがあり、この間、もう一人の宰相は皇帝の前で一人で対応することになった。
この宰相(以下、Aという)、
不敢它語、惟盛推秦公勲業而已。
あえて它語せず、ただ盛んに秦公の勲業を推すのみ。
ほかのことはただの一言も言わず、ただ盛んに秦檜さまのこれまでの功績を褒めそやすばかりであった。
翌日、秦檜さまが御出勤なされ、A宰相に問うておっしゃるには、
聞昨日奏事甚久。
昨日の奏事はなはだ久しと聞く。
昨日の皇帝の前での会議は、ずいぶん長い時間がかかったと聞きましたよ。
お休みになっていてもお知らせする者がいたのです!
A宰相、あわあわあわと恐れおののきながら言う、
某惟誦太師先生勲徳、曠世所無、語終即退、実無它言。
某、これ太師先生の勲徳の曠世無きところなるを誦するのみにして、語終わりて即ち退く、実に它言無かりき。
「太師」は秦檜に対し、他に並ぶ者も無い指導者であることからつけられた特別な称号です。
わ、わたくしは、秦太師さま先生さまの勲功と御人徳は、天下に並ぶ者が無いということを申し上げていたばかりで、そのコトバが終わったらすぐ退出しました! ほんとうにそれ以外のことは申し上げておりません!
秦檜さま、これを聞き、にこやかにおっしゃるに、
甚荷。
はなはだ荷なり。
「荷」は「苛」の仮借だと思われます。
これはたいへん厳しいことをしてしまったかな。
「は?」
A宰相は何のことかわからなかったが、
執政甫帰閤子、弾章副本已至矣。
執政、閤子に甫帰するに、弾章の副本すでに至れり。
A宰相が自分の執務室に休憩に戻ってみると、(A宰相を)弾劾する文書の副本がすでにそこに届いていた。
けだし、前日に「一人で長時間皇帝と討議していた」との知らせを聞いて、秦檜さまはすでに官吏の弾劾を掌る御史の役人に手を廻して、Aを弾劾するよう仕向けていたのである。
A宰相は即日、失脚したのだそうだ。
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放翁・陸游「老学庵筆記」より。秦檜の死後五十年ぐらい後の記録でしかも伝聞なので、「信じる」or「信じない」は、あなたさまの自己責任でございます。(こちらも参考にしてください。→「祟国夫人亡猫」)
―――このような厳しい社会生活を営んでいくのは、わしにはもうムリであると思われた。