「適量でバランスのとれた食事をしていたら太らないでワン」「でございますニャ」
とうとう5月6日! 明日どうするか? 会社に行くか、行かずに(郵送で)辞表送るか、人生の分岐点である。
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悩んで瘠せそうなものですが・・・。
東の風ははっきりした意図を持って、桃の枝先からまず吹きはじめたものだ。
頬紅をさして、ほんのり酔ったようにあだめいて、赤い扉に倚りかかる―――咲き初めた桃の花のような少女だった、おまえ。
あのころを思い出せば、化粧をなおしたばかりのおまえと水辺をそぞろ歩いた。
春はまさに半ば。
曇り日は暖か。
町の西の橋を渡って、
草やわらかく、川原の沙は平らか。
枝垂れ柳の渡しまで行った。
きれいなかたちの眉、
笑みを含んだ目元、
頬紅を薄く刷いていた―――
さてさて、時が流れました。
共携手処、香如霧、紅随歩、怨春遅。
共に手を携えしところ、香は霧の如く、紅は歩に随い、春の遅きを怨む。
あなたと手をつないで歩いたあたり、今日もかぐわしい霧たちこめ、赤い花はあちこちに咲き、心うらむほどに春たけなわだ。
けれど、
消瘠損、憑誰問。唯花知、涙空垂。
瘠損を消(もち)いしか、誰に憑(よ)りてか問わん。ただ花の知るのみにして、涙むなしく垂れたり。
(春のうらみに)やせて体を壊していないか? と、いったい誰を通して訊ねればいいのか。あなたの消息はもう花しか知らないのだ。わたしはむ なしく涙を流すばかり。
旧日堂前燕、和煙雨、又双飛。人自老、春長好、夢佳期。
旧日の堂前の燕、煙雨と和してまたふたつながら飛ぶ。人はおのずから老い、春はとこしなえに好ろしく、佳期を夢む。
あの日、この前を通り過ぎたお堂の軒端には、やはり今年もツバメが巣を作り、もやのような雨の中、つがいで仲良く飛んでいる。(あなたと二人で、このツバメたちのようになろうと誓い合ったのに!)
わたしはいつの間にか年をとったが、今年の春もすばらしい時節、あのよきころのことを夢にみる。
あのころのあの若者(自らをいう)は、純情で優しい男だったから、花もまたそれに応えてくれた。
今はぼんやりと夕暮どきの靄がたちこめ、桃源郷への道は閉ざされてしまった。
往事難追。
往事追いがたし。
もう二度とあのころは戻らない。
・・・宋・韓南澗の「六州歌頭」(六州歌の出だしの節で唱え)より。
韓南澗は名を元吉、字を无咎といい、南澗と号す。河南・許昌のひと。北宋が滅び南宋になったときに、信州に移り住んだ。
南澗名家、文献政事文学、為一代冠冕。
南澗は名家にして、文献、政事、文学、一代の冠冕(かんべん)なり。
南澗は有名な家系に生まれ、蔵書の質量、官界での活躍、詩文の創作、などに関して、当時のトップクラス(「かんむりの飾り」)のひとであった。
と称さる。(黄昇「花庵詞選」)
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ながながと引用してしまいましたが、結論は、「春の怨み」で瘠せて体を壊すひともいるというのに、おいらは連休の間に体重増えた。