「また明日ニャ」
憲法が保障しているんだかなんだか忘れてしまいましたが、「自由」に勉強するのはすばらしいことです。しかし、勉強は「押し付け」られた方がいい時もあります。厳格なコワい先生から
「怪しからん、べんきょうせい!」
と言われて、いやいややった方が効率的なことも多々ある。
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ということで、今日は厳格であったと思われるコワい先生から教えていただきます。しかしコワいとそれだけで萎縮してしまいますので、いつもどおりコドモ先生になっていただきまーちゅ。
・・・おっほん。
勿謂今日不学而有来日。
今日(こんにち)学ばずして来日有り、と謂う勿れ。
今日勉強しないでいて、「また今度の日が有るもん」と言っててはだめでちゅよ。
勿謂今年不学而有来年。
今年(こんねん)学ばずして来年有り、と謂う勿れ。
今年勉強しないでいて、「また今度の年が有るもん」と言っててはだめでちゅよ。
こうやっている間にも
日月逝矣、歳不我延。
日月逝けり。歳、我と延びず。
「日々は過ぎ去っていくばかりでちゅー」
でも歳月は誰かのために延長してくれる、ということはありません。
嗚呼老矣、是誰之愆。
嗚呼老いたり。これ、誰の愆(けん)ぞや。
「ああ、おいら、(勉強の成果が出る前に)もう年老いてちまったの」
との嘆きは、いったい誰のせいなのだと思ってるんでちゅか。
「愆」(けん)は「誤まる」、「あやまち」。
勉強ちてこなかったみなちゃんのせいなのでちゅよー!
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との教えは、朱晦庵先生の「学を勧むるの文」であられまちゅる(「古文真宝」前篇所収)。繰り返し読んで心に刻み込んで、今日はそれぐらいにしておいて、さあ、明日から勉強しまちょー。