平成27年5月2日(土)  目次へ  前回に戻る

白いメシこれぐらい食ってみたい。

休日中。本日は三十年ぶりぐらいで中島敦「斗南先生」を読んだ。う〜ん。まったく話忘れてました。こんな話だったんだっけ。なにしろ当時は「(中島先生をはじめ)知識人は歴史を超えて不繆なり」ぐらいに思ってたからなあ・・・。

まあいいや。というかどうしようも無いや。

休日なので好きな時間に好きなもの食ってシアワセでした・・・が。

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宋の時代のことでございます。

蘇東坡が高弟の劉貢父に言うたことには、

「わしがこれまで食うたものの中では、

三白(さんはく)

が一番うまかったなあ。

食之甚美、不復信世間有八珍也。

これを食らうに甚だ美、また世間に八珍有るを信ぜざるなり。

それを食うとあまりに美味くて、世の中には「八珍」という美食があるとはいえ、これより美味いとは考えられない!・・・ほど、美味かった」

「八珍」は一般には

龍肝、鳳髄、兎胎、鯉尾、鶚炙、猩唇、熊掌、酥酪

とされております。グルメ雑誌などでお詳しいでしょうから、みなさんはほとんど食べたことあるんでしょうねえ。

「八珍より美味い、とは、そんなに美味いものがあるのですか」

「そうじゃ。作るのに手間もかからない。・・・しかし、心の清らかな者でなければ美味と感じられないものなのじゃ」

劉貢父、居住まいを正して曰く、

「先生、どうぞやつがれにその料理をお教えください」

東坡、にやにやして曰く、

「よろしい、それでは今日はおまえさんに「三白」を食べさせて進ぜよう」

「ははー、ありがたきシアワセ」

やがて食事時になると、東坡の前にはいろいろ御馳走が並びましたが、劉貢父の前には茶碗と小皿が二つ、並べられただけである。

「これは?」

劉貢父の前にあったのは、

一撮塩、一楪生蘿蔔、一盌飯。

一撮の塩、一楪の生蘿蔔(らふ)、一盌(わん)の飯なり。

ひとつまみの塩、一枚の生のダイコン、一碗の白いご飯、であった。

乃三白也。

すなわち三白なり。

「さあさあ、これが「三白」じゃ」

「な、なるほど。本当の滋味はこの中にあるということですなあ」

劉貢父は大いに喜んで、「三白」を賞味した。

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しばらくして蘇東坡は劉貢父に、

「この間は「三白」を紹介したが、次回はさらに深い味わいのある

毳飯(ぜいはん)

を進ぜよう。これは天地の間に存在するあらゆる食物に比べられるもの無く、しかも手間がかからないので「三白」にもまさる」

「本当ですか。ありがたきシアワセ」

そこで早速その日、東坡の自宅に参上した。

談論過時、貢父飢甚索食。

談論時を過ごし、貢父飢うること甚だしく、食を索(もと)む。

いろいろ会話しているうちに晩飯時は過ぎ去り、劉貢父はずいぶんハラが減ってきたので、

「先生、そろそろ飯を・・・」

と求めた。

東坡、答えて云う、

少待。

少しく待て。

「もうしばらく待ちなされ」

「は、はい・・・」

また腹が減ってきたので、貢父曰く、

「先生、そろそろ飯を・・・」

「もうしばらく待ちなされ」

如此者再三、坡答如初。貢父曰、飢不可忍。

かくの如きもの再三、坡答うること初めの如し。貢父曰く、「飢うること、忍ぶべからず」と。

こんなことが二度、三度と繰り返され、東坡からは何度も同じ答えであった。ついに劉貢父、腹を抑えて

「先生、腹が減ってもうガマンできません」

と愬えた。

すると、東坡、おもむろに言う、

塩也毛、蘿蔔也毛、飯也毛、非毳而何。

塩や毛(もう)、蘿蔔や毛、飯や毛、毳にあらずして何ぞ。

けだし、当時の俗語に

呼無為模、又語譌模為毛。嘗同音。

「無」(む)を呼びて「模」(も)と為し、また「模」を語るに、譌(か)して「毛」と為す。すべて同音なり。

「譌」(カ、ガ)は「訛る」こと。

「無」(む)のことを「模」(も)といい、さらに「模」がなまって「毛」(もう)と言うことがあった。この三語はすべて同じ発音だったからである。

すなわち、

「塩が無い、ダイコンが無い、飯も無い、三つとも「無い」ので、これこそ「三毛」=「毳」飯ではないか」

劉貢父、これを聞いて、茫然として曰く、

慮不及此。

慮、ここに及ばず。

「ああ。わたくしの考えでは、そこまで及びませんでしたあ!」

と。

ここにおいて、

跛乃命進食。

坡すなわち命じて食を進む。

東坡は家人に命じて晩飯を出させた。

劉貢父のすきっ腹に沁みとおって、常日頃よりもはるかに美味であったこと、言うまでもない。

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宋・朱弁「曲洧旧聞」(きょくいきゅうぶん)より。(←原文では最初に「三白」の話をした後、東坡がそのことを忘れてしまっており、劉貢父に思い出させられるという挿話があるのですが、話がわかりづらくなるので省略して補正しました。)

人生の真実にも通うマジメな話なのか、ただのおふざけなのか、おふざけに見せかけたマジメな話なのか・・・。何となく深い意味があるような気になって読まないと、それだけで損をしてしまうような気がしてくるから不思議なお話でした。

しかし東坡先生のこの教えにもかかわらず、今日も揚げ物入り大量飯を食べてしまう。腹苦しい。明日からは必ずや「三白」にいたします。絶対。「毳飯」はカンベンして。(T_T)

 

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