「むかしのことを言われましても・・・」
明日は日曜日。月曜日の前日。Ah〜
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昨日に続きまして、漢・司馬相如の「琴歌」第二首をご紹介しておきましょう。第二の方は第一への返し歌のかたちになっていて、「おんなうた」でございますから、ここは姐さんに歌ってもらいます。
「あたいが? これはまた突然ね」
姐さんは突然の指名にもさすがに長い芸歴だ、慌ても騒ぎもせずに琵琶の調べを調えて、べん、べん、と歌いはじめた。
鳳兮鳳兮従我栖、 鳳よ鳳よ、我に従いて栖み、
得託孳尾永為妃。 孳尾(しび)を託し得て永く妃と為らん。
交情通体心和諧、 情を交え体を通じ心和諧し、
中夜相従知者誰。 中夜に相従わん、知る者は誰ぞ。
双翼倶起翻高飛。 双翼ともに起きて翻りて高飛せん。
無感我思使余悲。 我が思いに感ずる無くんば余(われ)をして悲しましむ。
おおとりよ、おおとりよ、あたしのそばでお休みよ。
楽しいことして、いとしい子を得て、ずっと仲良く暮らそうよ。
気持ちも一緒に、体を合せ、こころとろけて、
夜更けにはあなたと離れない。誰にも知られないように。
二つの翼を振るわせて風に乗って高く飛ぼうよ。
Ah〜、この気持ち、わかってくんなきゃ、あたしツラすぎる。
べん。べん。
「これでいいかしら?」
「ありがとうございましたあ! 姐さんに、いまいちど大きな拍手を!」
「孳尾」(しび)について。
「尚書」(いわゆる「書経」)の堯典にいう、
鳥獣孳尾。
鳥獣、孳尾す。
(聖天子の御代には)鳥やケモノも孳尾する。
と。
注にいう、
乳化曰孳、交接曰尾。
乳化を「孳」といい、交接を「尾」という。
(古代の言い方では)コドモに乳を与えて育てることを「孳」(し)といい、雌雄が接して交わることを「尾」(び)と言ったのである。
なので、オトコとオンナで、へへへ、ヤリまして、コドモが出来てそれを育てて殖える、というのが「孳尾」。
・・・というような、妖艶、といいますか、かなり直截的なエッチ歌だったんですねー。
「こんなエッチ歌で娘をたぶらかしおって!」
と卓王孫の憤激するのもムベなるかな。
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昨日に引き続き「楽府詩集」巻六十より。「漢詩」のイメージ、少しは変わりました?
さて―――。
それから九百年ぐらい経て、八世紀の半ばごろに、「司馬相如が卓文君を誘惑する琴を弾いたところだ」という伝説の地を、痩せこけた初老のオトコが訪れました。荒れ果てた光景を望んで、歌いて曰く、
野花留宝靨、 野花は宝靨(ほうよう)を留め、
蔓草見羅裙。 蔓草は羅裙かと見る。
帰鳳求凰意、 帰りし鳳の凰を求むるの意、
寥寥不復聞。 寥寥(りょうりょう)としてまた聞かず。
野の花には(文君の)宝石のように愛らしいエクボの面影が残り、
つるをなしてまとわりつく草は(彼女の翻した)うす衣のスカートのようだ。
けれど、世界を旅して帰ってきたおおとりが、そのつがいに愛を求めた歌は
さびしいね、さびしいね、もう今は聞こえない。
唐・杜甫「琴台」詩より。
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おいらも若いころは「凰」を求めていた? ほんとにそんな時代あったかな? そのころおいらが口ずさんだ(ような)、直截的エッチ歌を一首。
自らを瀆してきたる手でまわす顕微鏡下に花粉はわかし
もちろん自作ではありません。寺山修司先生の。
明日は三月だなあ。