↓は忍者のシワザかも?そんな能力はないか・・・
週末になりました。しかし週末がくればまた月曜日が来るのだ。イッツ、オートマチック。自動的。
自動的、といえば、こんな事件があったそうなのでございます。
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ことは明の成化年間(1465〜87)、河北・武清県で起こったのでございます。
民家石臼与隣家碌軸皆自滾至麥地上、跳躍相闘。
民家の石臼、隣家の碌軸(ろくじく)と、みな自ら麥を地上に滾至して、跳躍して相闘う。
「碌」は石のこと。
ある民家の石臼と、隣の家の石臼の軸とが、どちらも地面にムギの粉をこぼしながら、躍り上がって闘いあう、ということが起こった。
「そんなことがあるはずない」
と思うかも知れませんが、
郷人聚観。
郷人聚まりて観る。
村人たちが集まってきて見た。
のだから、多数の目撃者があったのである。
村人たちは
以木隔之、木皆損折、闘不可解。
木を以てこれを隔するも、木みな損折し、闘い解くべからず。
木の棒を間に入れて両者を分けようとしたが、(石の堅さにはかなわず)木の棒はみんな折れ壊れてしまい、闘いを分けることはできなかった。
しかし、
至晩方息。
晩に至りてまさに息(や)む。
夜になったら闘いは止んだ。
村人たちは
「こいつらおかしいぞ」
と
以臼沈于池中、以軸墜深坎、相去各百余歩。
臼を以て池中に沈め、軸を以て深坎に墜とし、相去ることおのおの百余歩なり。
石臼の方は池の中に沈めた。石の軸の方は深い穴を掘って埋めた。その間は百歩以上離したのである。
ところが、
其夜、軸与臼復闘於池辺、地上麥苗皆壊。
その夜、軸と臼また池辺に闘い、地上の麥苗みな壊す。
その夜半から、石軸と石臼はまた池のほとりで闘いはじめ、周辺のムギの苗はすべてなぎ倒されてダメになってしまった。
ここまでのこと、無学の村人たちだけでなく、秀才の地位を持つ李廷瑞も何度も見に行って確認した、ということである。
さらに
闘猶不輟、乍前乍却或磕或触、硜然有声、火星炸落、三日乃止。
闘いなおやまず、たちまち前(すす)みたちまち却(しりぞ)きあるいは磕(カイ)しあるいは触し、硜然(こうぜん)として声有り、火星炸落して三日にしてすなわち止む。
闘いはさらに続き、両者は進んでは退き、ぶつかりあったり触れ合ったりし、カン、カンと音を立て、火花が散り落ちた。三日後になって、ようやく収まったのである。
目撃した李廷瑞はわたし(←肝冷斎にあらず、原著者なり)の友人で、信頼のおける人物である。
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明・馬愈「馬氏日鈔」(明・施顕卿「奇聞類紀摘抄」巻二所収)より。
なんでこいつらこんなに争ってたんでしょうね、石同士で。もしかしたら、目撃した李廷瑞ではなく著者の方が、「信頼がおけない人物」だったのかも知れません。マスメディアが一番信頼置けませんでした、みたいな。