食う量だけは一人前以上
今日は○屋で牛めしを食った。○将のぎょうざとともに週に三回ぐらい食っているように思う。
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晋の荀勗(じゅんきょく)、帝の宴席に連なったとき、
食筍進飯、謂在坐人、曰此是労薪炊也。
筍を食らいて飯を進むるに、坐に在りし人に謂いて曰く、「これはこれ労薪の炊(かし)げるなり」と。
タケノコをおかずにしてメシを食いながら、同席のひとに言った。
「これは、古い木を燃料にして炊いたメシですな」
「はあ?」
坐者未之信。
坐者いまだこれを信ぜず。
同席のひとはにわかに信じられなかった。
そこで、そっと料理人に訊ねてみたところ、
実用故車脚。
実に故車の脚を用う。
ほんとに古くなった車の脚の部分を薪に使っていたのであった。
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南朝宋・劉義慶「世説新語」巻十五「術解」より。
どれぐらい毎日毎日同じモノを食べ続ければ、煮炊きの燃料がどんなモノであったかぐらいわかるようになるのであろうか。