平成27年1月31日(土)  目次へ  前回に戻る

(とりあえず反省しとくか)

今日は30年前の知り合いと会ってきて、その場は楽しかったが、帰ってきて酔いも醒めてみると、どうしてあんなことを言ってしまったのか、反省しきりである。甘えがあったのであろう。ぎぎぎ。どんどん鬱ってきました。この舌が無ければあんなことは言わなかったのであろうかと思うとこの舌をぶちゅっと・・・。

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顔回問小人。

顔回小人を問う。

顔回が「ダメ人間とはどんな人でございましょうか」と質問した。

先生のお答え。

毀人之善以為弁、狡訐懐詐以為智、幸人之有過、恥学而羞不能、小人也。

人の善を毀(そし)りて以て弁と為し、狡訐(こうけつ)詐りを懐きて以て智と為し、人の過つ有るを幸(ねが)い、学ぶを恥じ、不能を羞ずるは、小人なり。

他人のいいところを悪しざまに言うのに成功すると「うまく言った」と考えるやつ。

狡猾に立ち回り、他人の秘密を暴き立て、いつわりの心を懐いているのを「知恵がある」と思っているやつ。

他人が失敗するの願っているやつ。

ひとに聴いて学ぶのは口惜しいくせに、できないことがあるのを認めるのを屈辱だと思うやつ。

こんなやつらがダメ人間じゃ。

うう。まるでおいらのことを言われているようです。なさけない。穴に入りたい。○んでしまいたい。

顔回また質問した。

小人之言、有同乎君子者。不可不察也。

小人の言、君子に同じきもの有り。察せざるべからざるなり。

「ダメ人間のくせに立派なひとと同じことを言うことがありますよね。注意深くみなければならないと思います」

先生のお答え。

同じようなことを言ったとしても、

君子以行言、小人以舌言。故君子於為義之上相疾也、退而相愛。小人於為乱之上相愛也、退而相悪。

君子は行を以て言い、小人は舌を以て言う。故に君子は義の上においてはあい疾(にく)むも、退きてはあい愛す。小人は乱を為すの上においてあい愛すも、退きてはあい悪(にく)む。

立派なひとは実行を前提としてコトバを発する。一方、ダメ人間は舌の上でコトバを発するに過ぎない。だから、立派なひとは道義のことについてはお互いを責めあうが、そこから離れるとお互いに敬愛しあうものである。一方、ダメ人間は邪悪なことをしようというときにはお互いに協力しあうが、そこから離れるお互いに謗りあうものである。(そこに注意して、ダメ人間にはなってはならんようにせよ。)

うわーん、このダメ人間もまたおいらのことを言っているかと思うほどである。

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「孔子家語」巻十八より。

三十年前にもおいらはこのようなダメ人間であったが、何十年学んでもダメ人間のままだとは三十年前には思いもしなかった。この間なにをやっていたのか。ほんとうに○にたい。ほんとうに・・・

 

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