クモがどうしたでキュル?
おいらは温暖斎。あちこち南島の名所を紹介したいところですが、それはこちらに譲りまして、今日はチャイナにある寓山の名所を紹介します。
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寓山にはすばらしい石が数々ある。
浮影台(見晴台)の右には巨霊神の腕かと思われるような石が三つ。
あるいは寒山が語りかけようとしているような石がごろごろ。
また、
虎而踞、獅而蹲者、不可指屈。
虎にして踞し、獅にして蹲するもの、指を屈するべからず。
トラが座っているようなの、獅子がうずくまっているようなの、十本の指では数え尽くせない。
中でも笛亭と名付けられたあずまやのかたわらの石は
如駿馬馳坂、忽然而止、銜勒未収、猶有怒色。
駿馬の坂を馳せ、忽然として止まり、勒(くつわ)を銜みていまだ収めず、なお怒色有るがごとし。
駿馬が坂を駆けてきて、突然に止められ、くつわをくわえたまままだつながれていて、興奮が冷めやらぬ様子にそっくりである。
またその上に一石あって、
如半月欲堕不堕。周又新以冷雲字之。
半月の堕ちんとして堕ちざるが如し。周又新「冷雲」を以てこれに字す。
半月が落ちそうになって落ちない、という形をしている。周又新先輩が「冷えて固まった雲」と名づけたものである。
いまみると、
即未堪具袍笏、作丈人拝、亦可呼之為小友矣。
即ちいまだ袍笏を具うるに堪えずして丈人拝を作す、またこれを呼びて「小友」と為さん。
まったく、まだ上着や笏まで準備できないのに大人のように挨拶しているコドモに見える。あるいはこの石は「コドモ友だち」と呼んでもいいかも知れんなあ。
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雲が冷えて石になる―――というのはよいセンスですなあ。
明・祁彪佳「寓山注」より「冷雲石」。祁彪佳、字・弘吉、世培先生と号す、会稽・山陰のひと。「寓山注」は会稽にあった名所である寓山の見どころを紹介した文章である。なお、祁彪佳は明の末に南京が陥落すると
絶粒、端坐池中死。
粒を絶し、池中に端坐して死す。
断食し、池の中の小島にきちんと座ったまま餓死して節を全うした。
というひとである。池の中の小島に座るのは、誰もメシ類を持って来れないようにする、という意志表示である。