本日は鶏ラーメンおいしうございました親子丼おいしうございました杏仁豆腐おいしうございました大根煮付けおいしうございましたかぶ肉みそかけおいしうございました出汁まきたまごおいしうございましたあと忘れた。
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↓チャイナ思想史上、たいへん有名な一節です。
孟子が言った―――
仁、人心也。義、人路也。
仁は人の心なり。義は人の路なり。
「仁」というのは人の心そのものである。「義」とは人の歩むべき道である。
ところがみなさんは
舎其路而弗由、放其心而不知求、哀哉。
その路を舎(す)てて由らず、その心を放ちて求むるを知らず、哀なるかな。
その歩むべき道を捨ててそれをたどろうとしない。その心そのものをどこかにやってしまって、探さなければならないということさえわからない。なんとかわいそうな人たちだなあ!
よく考えてみなさいよ。
人有雞犬放、則知求之。有放心而不知求。
人の雞犬を放つ有れば、すなわちこれを求むるを知る。心を放つ有りて求むるを知らず。
みなさん、飼っているニワトリやイヌがどこかに行ってしまったら、それを探さなければならない、ということぐらいには気づくでしょう。ところが、心をどこかにやってしまっても探さねばならないということがわからないんだ。
学問之道無他、求其放心而已矣。
学問の道は他無し、その放心を求むるのみ。
学び・問う―――いわゆる学問というものは何なのか。ほかでもない、そのどこかに行ってしまった心を探すという、ただそれだけのことなのだ。
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「孟子」告子章句上篇より。「放心」をいかにして求めるのか、は宋以降の儒者たちの大問題です。この一節は「じゅじゅじゅ〜」と鉄板焼きを焼くように、心に焼き付けておきましょう。どんな試験に出るかもわかりませんし、あるいはお得意先が儒者だったりしたら日常会話でも触れられるかも知れませんし、婚活パーティで儒女子との話題になるかもよー。(←こういう「得をしますよ」と言わないとみなさん勉強してくれませんからね。なんとかわいそうな人たちだなあ!)(なおこの一節、より詳しくはこちらで解説したことがあります。もう五年も昔だ。)
なお本日は冒頭述べましたとおり上野の鶏料理で満腹。苦しい。犬は食べておりません。