←ハニワの年賀状。ハニワのことばで「あけまし・めでとう」とありまーす。
あけました。元旦です。
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元旦応酬作苦。
元旦、応酬苦を作す。
元旦については、なんとこたえるべきか、悩みますね。
なんででしょうか。
閲歳漸深、韶光漸短。添得一番甲子、増得一番感慨。
歳を閲(けみ)すること漸くに深ければ、韶光ようやくに短なり。一番の甲子を添得たれば、一番の感慨を増し得るなり。
年を経ることが多くなるごとに、春ののどかな光をどんどん短く感じるようになる。年齢を一つとるごとに、思うことが一つ増えてくるものなのです。
「甲子」(きのえ・ね)は十干・十二支を組み合わせた「干支」の第一番目。
荘子云、大塊労我以生、此之謂乎。
「荘子」に云う、「大塊、我を労するに生を以てす」、此れ、これを謂うか。
「荘子」に書かれている「世界はわたしを疲労させるために人生というものを与えたのだ」というのは、このことであろうか。
ニンゲンのたましいは本来は完全な存在なのですが、生きるとすり減っていくんですわ。一年過ぎるたびにすり減りが大きくなっていく。つらいことです。
でもまあ、元旦にもいいところもあります。
たとえば、
淑気臨門、和風払面、東郊農事、挙趾有期。江梅堤柳、粧点春工、晴雪絛風、消融臘気。
淑気門に臨み、和風おもてを払い、東郊の農事に趾を挙げて期有り。江梅・堤柳は春工に点を粧し、晴雪・絛風は臘気を消融す。
やさしい気分が門のあたりに漂いはじめ、和やかな風が顔を撫ではじめ、東の郊外の田畑で農耕をはじめる時期を考えはじめること。
川端のウメ、堤防のヤナギは春の景色にぽつぽつとポイントをつけはじめ、日光に照らされた雪、やわらかな風が年末の冬の気分を融解させていくこと。
「挙趾」は「かかとをあげて遠くを望む」こと、ここでは農耕のはじまりを推測することであろう。「臘」は十二月。旧暦では冬の終わりのこと、になる。
それから、
山居之士、負喧而坐、頓覚化日舒長、為人生一快耳。
山居の士の喧を負いて坐し、頓に化日の舒長することを覚るは人生の一快たるのみ。
山中に隠棲するひとが日向ぼっこして日の光を背中に当てて座り、変化する陽光がだんだん日永になっていくのを敏感に感じとるのは、これぞ人生の快楽というべきものであろう。
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筆者不祥「閑賞」より「元旦」(明・衛冰「枕中秘」所収)。
しかしゲンダイは旧暦ではないので、元旦以降も寒くなるので、まだ快楽の方はおあずけなんです。(T_T)
とりあえず本年もよろしくお願いします。(いつまでこんなことや(れ)るのかなあ・・・)